大韓聖公会 江華聖堂(대한성공회 강화성당) - エリア情報 - 韓国旅行情報

大韓聖公会 江華聖堂(대한성공회 강화성당)

大韓聖公会 江華聖堂(대한성공회 강화성당)

13.5Km    2024-09-04

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑クァンチョンギル27ボンギル10

江華(カンファ)聖堂はコ・ヨハン(Charies Jone Corfe)初代主教により1900年に建立されたもので、聖ペトロとパウロ聖堂と命名されました。当時の建築工事は宮廷棟梁が率い、以後数回補修が行われましたが、現在も当初の姿そのままで保存されています。聖堂の建物は正方形(正面4間、側面10間)の重層構造で全体的な建築様式は韓国伝統様式に従っており、配置や内部構造は西洋式バシリカ建築様式を応用しながら調和と美しさ、土着精神を表しています。聖公会江華聖堂は当初1981年に京畿道地方有形文化財に指定されたのち、江華郡が仁川広域市に編入されたため仁川地方有形文化財に変更され、2001年1月に国家史跡に指定されました。

甲串墩台(갑곶돈대)

甲串墩台(갑곶돈대)

13.5Km    2021-02-18

仁川広域市 江華郡 江華邑 海岸東路1366番キル18
+82-32-930-7077

「甲串墩台(カプコットンデ)」は1232年から1270年まで都を江華島に移し、蒙古との戦争で江華海峡を守っていた重要な要塞です。大砲8台が設置された砲台で、墩台は小さな規模の堡塁を作り、大砲を設置し守っていた所です。
甲串墩台は1232年から1270年の間に都を江華島に移した後、1644年に設置された済物鎮(甲串鎮)に所属する墩台で、1679年に造られました。1866年9月、丙寅洋擾(1866年にフランス艦隊が江華島を侵略した事件)の時フランス極東艦隊が、600名の兵力を引き連れ、江華山城、文殊山城などを占領しました。同年10月にフランス軍は梁憲洙(ヤン・ホンス)將軍の部隊に撃退されました。1977年、補修・復元が行われ、現在の墩台の中に展示されている大砲は朝鮮時代のもので、海から攻めてくる外敵の船舶を砲撃していたものです。

高麗宮趾(고려궁지)

高麗宮趾(고려궁지)

13.6Km    2021-06-01

仁川広域市 江華郡 江華邑 北門キル 42

「高麗宮趾(コリョグンジ)」は高麗が39年もの間、蒙古の侵略に粘り強く抗戦した宮闕の跡です。1232年高麗高宗は、江華島に都を移し、その2年後の1234年に宮闕と官衙の建物を完成させました。1270年に蒙古と和解をし開城に都を戻した後、宮闕と城廓は崩壞しました。
1637年、江華山城が清軍に陥落したため、高麗宮の跡地には朝鮮宮殿の建物などがあったが、1866年丙寅洋擾の時フランス軍に敗退し建物のほとんどが消失し、今は東軒と吏房庁だけが残っています。ここは1977年に補修が行われ、民族の自主精神と国難克服の歴史的教訓を実現する国民教育の場として活用されています。

江華郷校(강화향교)

江華郷校(강화향교)

13.6Km    2024-09-20

仁川広域市 江華郡 江華邑 郷校キル 58

1127年(仁宗5)3月に賢儒の位牌を安置、位牌を祀り地方の人の教育のために高麗山の南方に郷校が建てられました。1232年(高宗19)に現在の甲串里に移されましたが、蒙古軍の侵攻により再び西島面に移されました。その後、江華郡へと移され、1624年(仁祖2)に江華留守(地方官)の沈悅が松岳山(現在の北山)の横に復元しました。1629年には江華府尹の李安訥(イ・アンヌル)が明倫堂を設立し、1688年(粛宗14)に留守の閔蓍重(ミン・シジュン)が 南門の近くに移しました。1731年(栄祖7)には、留守の兪拓基(ユ・チョッキ)が現在の位置に移し、1766年に留守の李溵(イ・ウン)が修復すると同時に小東門の外にあった碑石を現在の位置へ移しました。京畿道の文化財資料に指定されており、大正殿、明倫堂の東廡、西廡、祭器庫、厨房などが現存しています。前面5間、側面3間の切妻屋根から成る大正殿には五聖、十八賢の位牌が安置されています。朝鮮時代には国家から田畑や労賃・典籍などの支給を受け、教官が教育を行いましたが、現在は教育は行われておらず、春や秋に釈奠、1日・15日に焼香を行い、1名の典校と数名の掌議が運営を行っています。

江華山城(강화산성)

江華山城(강화산성)

14.0Km    2020-03-16

仁川広域市 江華郡 江華邑 山3番地
+82-32-930-5464

江華山城(カンファサンソン)は高麗、高宗19(1232)年に江華島に遷都した後、蒙古に対抗するために土で建てた土城です。内城は首都移転と同時に取り壊され、朝鮮時代(1392-1910)初めに新たに土城として改築されました。以降、何度も破壊と改築があり、初期には土城として作られましたが朝鮮初期には石城として改築されました。
江華山城はもともと内城と外城がありましたが、現在残っているのは石で積み上げた内城だけです。城の周りは約1.2キロメートル、中城は周りが約9キロメートルの土城で8つの門が四方にありました。外城は江華の東側海峡に沿って作られた巨大な規模の土城でしたが、現在は残っていません。内城も1977年まで何度もの補修工事を経て今日に至りましたが、東側の城は復元できませんでした。
城の四大門としては、南門の晏波楼、西門の瞻華楼、東門の望漢楼、北門の鎭松楼がありますが、東門は今はありません。現在、西門には歴史的な錬武堂跡が残っています。ここは兵士たちが訓練していた所で、1876年日韓修好条規が締結された所でもあります。
江華山城は、城郭と周辺の景観が美しく調和し、散歩やドライブコースとして人気があります。

江華支石墓遺跡[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](강화 고인돌 유적[유네스코 세계문화유산])

江華支石墓遺跡[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](강화 고인돌 유적[유네스코 세계문화유산])

14.8Km    2023-11-28

インチョン広域市カンファ郡ハジョム面プグン里

支石墓(コインドル)は青銅器時代の代表的な墓で、主に経済力や政治権力を持った支配層の墓として知られています。江華(カンファ)富近里(プグンリ)支石墓は高さ260cm、長さ710cm、幅550cmの大きな石を使用し、形は北方式支石墓で古代史研究の良い資料となっています。また2000年11月29日に高敞、和順の支石墓とともにユネスコ世界文化遺産に登録されました。

江華歴史博物館(강화역사박물관)

江華歴史博物館(강화역사박물관)

14.8Km    2021-07-20

仁川広域市 江華郡 河岾面 江華大路 994-19

江華(カンファ)歴史博物館は江華の文化遺産を所蔵・研究・展示する目的で開館した公立博物館です。元々、甲串墩台(カプコットンデ)のそばにありましたが、2010年に移転、現在の場所に新たにオープンしました。
常設展示には江華の先史時代の遺跡地と高麗王陵から出土した遺物や郷校(ヒャンギョ)、伝統寺院の所蔵品などの文化財が展示されています。また企画展示室では毎年さまざまなテーマの特別展が開催されています。
江華の歴史を知ってもらうための映像室と教育プログラムを運営しており複合文化スペースとしての役割も担っています。

金浦国際彫刻公園(김포국제조각공원)

14.9Km    2022-12-20

京畿道 金浦市 月串面 龍康路13番キル38
+82-31-984-5167

金浦市は江華の入口にあり、都心に向かうための経由地だと思われている場合がほとんどですが、金浦市は随所に観光スポットが点在しています。北は漢江、西は西海に隣接しており、長い歴史を象徴する遺跡や遺物、伝説、逸話などが多く残されています。
金浦彫刻公園は民族分断を象徴する月串面地域に統一をテーマにした作品30点(国外14点、国内16点)の彫刻品が展示された場所です。周辺にはレジャー・スポーツ公園、雪ゾリ広場、青少年修練院などがあり、観光タウンへの育成計画が進められています。週末は家族連れや恋人で賑わいを見せます。

CAFE de CHELSEA(카페 드 첼시)

CAFE de CHELSEA(카페 드 첼시)

15.1Km    2024-02-21

キョンギ道キンポ市トンジン邑キンポデロ2435ボンギル107-20
0507-1368-7780

CAFE de CHELSEAは、イギリスのチェルシー薬草園にインスパイアされたブランチ&ベーカリーカフェです。屋外庭園と天井の高い屋内空間が印象的で、季節ごとに変わる華やかなインテリアがフォトスポットとして人気を集めています。エスプレッソ、ミルクティーラテ、チェルシーシュペナー、そして豊富な種類のパンがあります。1階のティールームでは、スペシャルティーや紅茶のヴァン・ショー風を楽しむことができます。

江華西島中央教会(강화 서도 중앙교회)

15.6Km    2020-06-16

仁川広域市 江華郡 西島面 注文島キル 256-1
+82-32-760-6474

江華島(カンファド)は、朝鮮時代末期に入り、外国勢力による度重なる侵略を受けた島。
1866年・高宗(コジョン)3年には、丙寅洋擾(ピョンインヤンヨ)が起き、フランス艦隊が鼎足山城(チョンジョクサンソン)の戦闘で破れ撤退するまでの1か月間ほど江華島に駐屯し、1871年の辛未洋擾(シンミヤンヨ)の際には、アメリカ艦隊が江華島にある草芝鎮(チョジジン)、徳津鎮(トクチンジン)や広城堡(クァンソンボ)を次々に陥落させました。
このように江華島は19世紀末、韓国が欧米各国に門戸を開く時期、その最前線にあった場所で、それゆえに西洋人宣教師の活動も活発に行われていました。
そんな宣教師の手により自ら建築したり、宣教師の影響により当時、教会・聖堂がいくつか建てられましたが、江華島には現在でも、1900年に建てられた聖公会江華聖堂、1906年に建てられた江華温水里(オンスリ)聖公会教会、そして西島(ソド)中央教会の三つの建物が残っています。
中でも西島中央教会は1923年2月に信者らが教会を建てるために献金を行い建築を開始した建物で、翌1924年7月、韓屋造りの礼拝堂が完成しました。
1978年には注文(チュムン)教会から西島教会と名称を変更し、現在では大韓基督教監理会所属の教会となっています。
西島教会の建物は優れた建築技術、高い美的価値を持つ建物ではありませんが、韓国の伝統的な木造建築物の構造様式を生かした教会を建てたという意味で大きな意義がある建物となっています。