18.4Km 2022-12-22
江原道 春川市 南山面 ヘッコルキル80
「森の中で出会う小さなヨーロッパ」というテーマで造られたエキゾチックな樹木園。約16万3500平方メートルの敷地に、自然の地形をできるだけそのまま生かした24のテーマ庭園が造られています。樹木園の入口にあるイタリア・トスカーナ風の訪問者センター、イギリス風の花壇で飾られたイギリス式ボーダーガーデン、イタリア風の庭園様式と水路のあるイタリアン・ウェディングガーデンなど、あちこちからヨーロッパの感性が感じられます。樹木園を巡る散策路は、大きくナムネウム(木の香り)道、紅葉の道、スプソクパラム(森の中の風)道の3つからなっています。中心部のナムネウム道にはウッドチップが敷かれており、テーマ庭園各所へのアクセスが良くなっています。紅葉の道は樹木園の若干高いところにあり、静かに散歩するのにぴったりで、スプソクパラム道は木々が生い茂っていて涼しく、夏に歩くのにいい道です。各コースは片道40~60分ほどかかり、途中途中で互いにつながっています。すべてのコースは訪問者センターから始まり、最も高いところにあるホワイトガーデンかスカイガーデンで終わっています。散歩の途中でドリンクを片手にひと休みできるカフェをはじめ、レストラン、記念品店などの施設があります。時期別に夜間開放を行っていて、京春線屈峰山駅と樹木園を往復するシャトルバスが運行されています。
主要施設&付帯施設
植物園、樹木園、カフェ、お土産屋、団体宴会研修など
体験プログラム
森解説プログラム
18.7Km 2023-06-19
キョンギ道ナミャンジュ市チンゴン邑サルンロ180
思陵(サルン)は朝鮮王朝時代最も悲運の女性、端宗の妃・定順王后(1440-1521)宋氏の陵です。
定順王后は1453年王妃に揀擇(多くの候補者を宮殿の中に集め、王、王子、王女の配偶者を選ぶ行事で選ばれること)され、翌年王妃になりました。
端宗が首陽大君(世宗)に王位を奪われ寧越に流されると定順王后も格下げになりました。その後端宗が亡くなると東大門の外にわら葺の家を建て一生夫を思いながら暮らしました。よって墓の名前も「思陵」になったとされています。
思陵は王妃の陵で、他の陵に比べこぢんまりしていて簡素です。陵の規模も非常に小さく、屛風石(陵を保護するために陵の上の周囲を屏風のように立てた四角形の平たくて大きい石)を置かずに文人石(陵の前にたてる文官の形に造った石)や石馬(陵の前に石でつくった馬)のみがあります。
18.8Km 2025-04-18
カンウォン特別自治道チュンチョン市ナム面チュンヒョロ1503
春川出身の義兵将、衣岩・柳麟錫(リュ・インソク)の遺品と関連資料を展示する記念館。柳麟錫は朝鮮時代後期の学者であり義兵将で、朝日修好条規(日朝修好条規)の締結に反対する上訴を出し、金弘集(キム・ホンジプ)親日内閣が発足すると義兵を起こしました。義兵将として活躍しましたが官軍に敗し、満州に亡命した後も独立運動を続け、その後病死しました。記念館の館内には、衛正斥邪運動と抗日義兵運動の展開及び柳麟錫の生涯と活動を観ることのできる様々な資料が展示されています。野外には柳麟錫のお墓と遺影・位牌が奉られている義烈祠、義兵の精神を振り返るために設立された教育の場の義兵学校などがあります。また、白凡・金九(キム・グ)が柳麟錫の墓で詠んだ祭文を刻んで記念した石碑と、韓国国民議会(声明会)宣言書が刻まれた石碑もあります。青少年を対象に義兵と独立運動史を教える独立運動教室、家族連れの訪問者を対象に義兵の文化体験の機会を提供する土曜義兵ノリマダンといったプログラムも開催されています。
18.8Km 2021-02-17
京畿道 抱川市 蘇屹邑 光陵樹木園路874
1998年に開店した「万寿荘(マンスジャン)」は京畿道国立樹木園や光陵、有名な奉先寺の近くにあり、華僑2世が営む正統派中華料理店です。低価格でボリュームのある料理を提供しており、各種集まりなどに利用できます。
19.0Km 2021-07-31
京畿道 南楊州市 洪裕陵路352-1
洪裕陵は洪陵と裕陵を合わせた言葉です。丘を間にはさみ、同じ圏域にあります。
洪陵
洪陵は大韓帝国初代皇帝・高宗(コジョン)と明成皇后(ミョンソンファンフ)閔氏の陵です。元々洪陵は明成皇后の陵としてソウルの清涼里(チョンニャンニ)にありましたが、高宗の死後に今の場所に移され、一緒に祀られています。高宗は興宣大院君・李昰應の次男で、12歳の若さで王位につきました。高宗は1897年、大韓帝国樹立を宣布し皇帝の位につきましたが、日本の圧力が増す中、乙巳勒約を結んで外交権を日本に奪われ、1919年に徳寿宮にて67歳で崩御しました。明成皇后は驪城府院君・閔致禄の娘で、1866年に王妃となりました。1873年、高宗の親政(王が直接国の政治を手がけること)をきっかけに政治的実権を掌握後、親露政策に不満を抱く日本人刺客に殺害されました。
裕陵
裕陵は最後の皇帝である純宗と、その妃である純明孝皇后閔氏、継妃・純貞孝皇后尹氏を合葬した唯一の「同封三室」の陵です。純宗は高宗と明成皇后の2番目の息子で、朝鮮最後の王です。民族主権を守護しようとした悲劇的な歴史の王でした。純明孝皇后は純宗が即位する前、王の後継ぎの正妻として始めてオリニ大公園付近の龍馬山の麓に埋葬されましたが、純宗の死後、陵を移して合葬されました。純貞孝皇后は12歳の純宗の后となり、1910年、日本帝国が国権を奪おうとした際、玉璽(国家文書に使われた玉で作った王の印鑑)をスカートの中に隠したというエピソードの人物です。その後、国権は奪われ、大韓帝国は滅びてしまいます。死ぬ瞬間まで温和な性質と気品を忘れなかった純貞孝皇后は大韓帝国の最後の皇后です。
洪陵と裕陵は従来の朝鮮王陵と異なる点があります。それは朝鮮の国名を大韓帝国にかえた際、王を「皇帝」と称したほど、皇帝陵の様式に従い明・太祖の孝陵を見習って作ったことです。洪裕陵には他の王陵では見られなかったキリンやゾウ、獅子、ヘテなど多様な動物形態の石物があります。洪陵の石物は伝統的な方法で作られており、裕陵の石物は洪陵のそれよりも事実的かつ優れた手法が見られます。
19.7Km 2024-03-20
カンウォン特別自治道チュンチョン市ナムサン面ソベクギル62-4
キョンガンマッククスは、ゆで肉と混ぜそばを専門とする韓国料理店です。ゆで肉はもっちりして柔らかく、臭みがありません。混ぜそばは、そば100%の麺と大根の和え物、野菜、ソースを混ぜて食べる時の旨味が絶品です。手作り豆腐、ゆで肉、じゃがいものチヂミ、混ぜそばが一度に楽しめるコース料理もあります。
19.7Km 2024-11-01
カンウォン特別自治道チュンチョン市ナムサン面ソベクギル57
江村レールパーク京江レールバイクは、旧京江駅から出発してレールバイクを楽しめるレジャー施設です。赤レンガ造りの旧京江駅は昔ながらの風情が残っており、静けさを楽しみたい人が多く訪れます。京江レールバイクのコースは全長8キロメートルで、京江駅を出発してケヤキトンネルを通り、北漢江鉄橋を渡って反対岸のチャラモク休憩所で折り返し、再び京江駅に戻ってきます。所要時間は往復1時間強で、午前9時から1時間30分間隔で運行しています。京江レールバイクは、愛犬と一緒に乗れるペットバイクも併せて運行しているので、愛犬家に人気があります。広々としたドッグランもあり、家族みんなで遊びに行くのに最適です。