潭陽 昌平サムジネ村[スローシティ](담양 창평 삼지내마을[슬로시티) - エリア情報 - 韓国旅行情報

潭陽 昌平サムジネ村[スローシティ](담양 창평 삼지내마을[슬로시티)

潭陽 昌平サムジネ村[スローシティ](담양 창평 삼지내마을[슬로시티)

16.4 Km    47297     2021-06-25

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル9-22

昌平スローシティ「サムジネ村」は1510年頃に形成された村で、東の方には月峰山、南側にはクッス峰がそびえています。村の前を流れる川の様子が鳳凰が羽を伸ばして取り囲んでいる形に見えることから三支川(サムジネ)と呼ばれています。
「サムジネ村」は2007年、韓国初のスローシティに指定されており、自然のなかでスローフードやスローアートを体験し、スローな暮らしを追求します。

食べ物:薬草定食、田舎菜園定食、タケノコのナムル、市場クッパ、田舎定食
周辺観光地:竹緑園、メタセコイア並木道、瀟灑園 など

全羅南道 潭陽 昌平[スローシティ](전남 담양 창평 [슬로시티])

16.7 Km    8878     2021-04-16

全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル 56-24
+82-2-383-3807

全羅南道潭陽(タミャン)郡昌平(チャンピョン)は農村地帯でトマト、イチゴ、ハウス栽培の野菜など近郊農業が盛んな所で、素晴らしい自然環境がいまもなお残りつつ、田園都市など今後の発展への潜在力を持つ、人情にもあふれ住みやすい美しいところです。
昌平(チャンピョン)という地名は高麗時代初期まで遡ることができ、これまで文武百官を輩出したソンビ(学者)の村として忠・孝・礼・信義を守り続けてきた村としてその名声を博しています。壬辰倭乱(日本で言う文禄・慶長の役)の時の義兵隊長だった霽峰・高敬明(コ・ギョンミョン)先生の次男・鶴峰・高因厚(コ・インフ)先生の11代子孫である大韓帝国末期の義兵隊長・鹿川・高光洵(コ・グァンスン)義兵隊長が生まれた義を重んじる村で、近現代に入って1906年4月1日私立長興学校を創設・開校し、新学問を教育した春崗・高鼎柱(コ・ジョンジュ)先生、国務総理や国会副議長、中央省庁のトップである長官、大法院(最高裁)判事、マスコミ界の重鎮・高在旭(コ・ジェウク)、初の工学博士・李升基(イ・スンギ)博士、初の女性農学博士・金三純(キム・サムスン)博士の故郷でもあります。
朝鮮時代に王への献上品として有名であった昌平米飴や韓菓、千年の神秘をとどめる竹塩、竹塩味噌、伝統トッカルビなどは韓国伝統の食べ物として昌平が誇るものです。

歴史
三韓時代 - 拘溪国
百済時代 - 屈支県
新羅時代 – 757(景德王16)年祈陽県
高麗時代 – 940(太祖23)年昌平県(別名として鳴平[ミョンピョン])。 1144(仁宗21)年、中央指定官として県令を置く。
朝鮮時代 –
1474(成宗5)年-昌平県を撤廃し光州牧に隷属させる形となったものの、金有山(キム・ユサン)が王に訴え 再び1479年昌平県となる。
1758(英祖34)年閔百禄(ミン・ペンノク)が昌平県誌を編纂し、1793年(正祖17)年昌平県令である趙光存(チョ・グァンジョン)が現在の古西面古邑里から昌平面昌平里82番地(昌平面事務所)に移る。
1895(高宗32)年5月26日南原府昌平郡(4等郡守)となる。
1896(高宗33)年8月24日全羅南道昌平郡として9つの面を管轄。

日帝強占期 – 1910年国権侵奪時代 - 昌平郡
1914年2月28日、部令第11号(1913年12月29日公布)により昌平郡が潭陽郡に編入され、昌平面に改称

※ 昌平という地名は孔子の出生地・魯の昌平郷とその地形などが似ていることから命名されたという説があります。
1990年4月1日付で南面外東里が昌平面に編入

道林寺(谷城)(도림사(곡성))

道林寺(谷城)(도림사(곡성))

17.2 Km    28439     2021-06-22

全羅南道 谷城郡 谷城邑 道林路 175

道林寺(トリムサ)は全羅南道谷城郡谷城邑から西南4キロメートルほどのところにある聖出峰の中腹にあります。新羅時代の660年に元暁大師が建てたといわれており、現在、道林寺には普光殿、薬師殿、応真堂、冥府殿などの建物があります。また、寺の入口には「道林寺」という扁額が掲げられており、文字は画家・許百錬の揮毫によるものです。

イラン韓屋ステイ[韓国観光品質認証](이랑한옥스테이[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

イラン韓屋ステイ[韓国観光品質認証](이랑한옥스테이[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

17.4 Km    2550     2024-04-08

チョンブク特別自治道 イムシルグン インドクロ 1571-6
+82-10-3119-5300

「イランハンオクステイ」は、全羅北道任実郡徳峙面に位置した宿舎で、村の前に蟾津江が流れ、山が取り囲んでいて自然風景が美しいです。客室は計4つの改良韓屋で、一軒家として使われています。客室ごとにオンドル部屋1つ、ベッドルーム1つ、キッチン付きリビング、トイレがあり、客室によっては板の間とつながっていたり、縁側が付いています。客室内では匂いの強い料理の調理は不可で、庭でバーベキューができます。夏には屋外プールがオープンされます。 

栄山江(영산강)

栄山江(영산강)

17.5 Km    17388     2020-12-15

全羅南道 潭陽郡 水北面 開東シンギキル

潭陽郡龍面の龍湫峰(560メートル)を水源地とし、潭陽・光州・羅州・霊岩等を過ぎ、栄山江の河口堰を通って、黄海に流れ込む「栄山江(ヨンサンガン)」は、南西に流れながら光州川(11.8キロメートル)・黄龍江(45キロメートル)・砥石川(34.5キロメートル)・古幕院川(21.4キロメートル)・咸平川(15キロメートル)の支流と合流しています。潮汐の影響が羅州の付近まで及んでおり、沿岸農耕地に河川氾濫や農地侵食などの被害を与えたりもしましたが、1981年12月に河口堰が造られ、感潮区間が大幅に減少しました。

谷城檀君殿(곡성 단군전)

谷城檀君殿(곡성 단군전)

18.6 Km    21025     2021-05-13

全羅南道 谷城郡 谷城邑 英雲1キル33
+82-61-360-8379

韓国の始祖として知られる檀君は、天帝である桓因の孫で、桓雄の息子です。桓雄は、人間になりたいと哀願するクマとトラにニンニクとヨモギを与え、「100日日光を避ければ人間になれる」と言ったといいます。トラは耐えられず人間になれませんでしたが、クマは100日耐え、人間の女性となりました。こうして女性となったクマと桓雄のあいだに産まれたのが壇君王倹だという神話があります。
「谷城檀君殿(コクソンタングンジョン)」は韓国の始祖・檀君王倹の遺影を奉安した祠堂で、3・1運動当時、谷城で万歳運動を主導した白堂・申泰允が後学の民族意識を鼓吹するために建立したものです。日帝統治下にあっても開天節に国民がここに集まって祭祀を執り行ない、国の独立を祈ったといいます。
境内には3・1運動記念碑や白堂記念館もあります。また、毎年10月3日開天節と3月15日御天節には祭祀が行われています。

ソンシム会館(성심회관)

ソンシム会館(성심회관)

18.7 Km    2693     2024-04-07

チョンブク特別自治道 任実郡 江津面 護国路13-2

1992年に開店した「ソンシム会館(ソンシムフェグァン)」は、カワニナをメインメニューとする食堂です。
蟾津江は山と川に恵まれ、昔から各種の魚介類が豊富なことで有名です。特に上流ではカワニナが、下流ではシジミが有名で、ソンシム会館では上流のカワニナを使った汁物が評判です。やや苦味がありながらも香ばしさを同時に味わえるこのカワニナ汁(タスルギタン)は、美味しいのはもちろん、二日酔い、黄疸、むくみなどにも効果があります。また、『本草綱目』や『東医宝鑑』には、目を健やかにする働きがあると書かれています。

カフェ林(카페 림)

カフェ林(카페 림)

18.9 Km    0     2024-02-20

チョンラナム道タミャン郡ポンサン面ソンガンジョンロ192

カフェ林(リム)は、緑の竹林を背景にする潭陽の美しいカフェです。カフェ内外に竹が植えられ、まるで竹林に入っているような感覚が覚えられます。看板メニューはココナッツミルクエスプレッソセーキ。一幅の東洋画を連想させるカフェできれいな写真も撮影できます。

潭陽 鳴玉軒 苑林 (담양 명옥헌 원림)

潭陽 鳴玉軒 苑林 (담양 명옥헌 원림)

19.2 Km    21781     2023-08-17

チョンラナム道タミャン郡コソ面フサンギル103

全羅南道潭陽生態村後山里に位置する「鳴玉軒苑林」は朝鮮時代に呉希道(1583~1623)が暮らしていた家の庭園です。また、彼の四男である呉以井(1619~1655)が父の跡を継ぎここで書を読み多くの著述を残した別荘の地でもあります。
庭園の中に「鳴玉軒」を建て、前に四角の池を造り、周囲に花の木を植えるなど景観が美しいことからその名が知られています。鳴玉軒はこぢんまりとしたあずまやで、教育を受けさせるために建てられた建物です。ここを流れる水の音が、玉がぶつかりあって鳴る音のようであることから名付けられました。池の周囲には赤松やサルスベリなどが植えられており、池の上の小川のほとりには「鳴玉軒癸丑」の字が彫られた岩があります。
鳴玉軒苑林の右方には「後山里銀杏の木」あるいは仁祖大王繋馬杏と呼ばれるイチョウの木があります。樹齢300年以上の古木で仁祖が王になる前に全国を回る中で呉希道を見つけ、ここに来た際に乗ってきた馬をつないでおいたところと言われています。
鳴玉軒苑林は「瀟灑園」に次ぐ美しい民間庭園として、2009年に名勝に指定されました。

任実筆峰農楽保存会[韓国観光品質認証](임실필봉농악보존회 [한국관광 품질인증]/Korea Quality)

任実筆峰農楽保存会[韓国観光品質認証](임실필봉농악보존회 [한국관광 품질인증]/Korea Quality)

19.3 Km    6589     2024-04-08

チョンブク特別自治道 イムシルグン カンウンロ 272 (ビルボン文化村)
+82-63-643-1902

イムシル・ピルボン農楽保存会はピルボン文化村の名所である韓屋(ハノク)「チラクウォン」を韓屋(ハノク)ステイとして運営している。 集落では2人部屋から団体室までの人数に応じて宿泊が可能である。 客室は計11室で、客室ごとにシャワーができるトイレが備え、利便性を高めた。 炊事は客室ごとに異なるので、確認が必要だ。 ピルボン文化村の内部食堂で食事ができ、グリルもレンタルしてくれる。 毎週木~土曜日にはイムシル・ピルボン農楽をテーマに常設公演が開かれる。 近隣に玉井(オクジョン)湖、国立フェムン山自然休養林などがある。