ソウル韓屋ステイ(jnpstay) [韓国観光品質認証] / 서울한옥스테이(jnpstay) [한국관광 품질인증/Korea Quality] - エリア情報 - 韓国旅行情報

ソウル韓屋ステイ(jnpstay) [韓国観光品質認証] / 서울한옥스테이(jnpstay) [한국관광 품질인증/Korea Quality]

ソウル韓屋ステイ(jnpstay) [韓国観光品質認証] / 서울한옥스테이(jnpstay) [한국관광 품질인증/Korea Quality]

753.6752230975602m    0     2022-04-01

ソウル特別市 鐘路区 チャハムンロ1ナギル 7-28
+82-507-1309-6800

西村の路地に位置するソウル韓屋ステイは、ソウル地下鉄3号線・キョンボックン駅から徒歩5分の距離の韓屋ゲストハウスだ。4、5人が韓屋全体を貸し切りで使用できるので家族や友だちと集まる場所としてこの上ない。ロの字型の見栄えのいい庭にはテーブルを中心に可愛らしい花壇と背の高い植木鉢が混ざり合っている。軒に沿って降り注ぐ陽射しに当たったり、チェギチャギ(羽根蹴り)、ユンノリ(すごろく)、投壷のような伝統遊びに挑戦したり、家族や仲間と電気グリルバーベキューを楽しみながら時間を過ごしたり、この全てのことが韓屋の庭では可能だ。 木本来の色が綺麗な韓屋は、2人部屋と3人部屋、テチョンマル(板の間)、台所、浴室、庭で構成されている。伝統を守りながらも現代的な施設を取り入れて、宿泊客が韓屋の美しさと暮らしの利便性を全部感じられるようにした。垂木が垂れ下がるテチョンマルにソファーを置き、窓にガラスを重ねて保温効果を高めるなどのようにだ。テチョンにつながる台所では、簡単な料理ができる。食器はもちろん、ワイングラスまで用意されているセンスが光る。

国立現代美術館 徳寿宮(국립현대미술관 덕수궁)

国立現代美術館 徳寿宮(국립현대미술관 덕수궁)

761.7943231376463m    13376     2023-06-27

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

「国立現代美術館 徳寿宮(トクスグン)」は韓国の近代美術の形成と展開過程を体系化し、近代美術に現れる美意識と歴史観を定立することで、民族の文化的アイデンティティーを具現化すべく設立されました。
近代美術専門機関として、近代美術の調査・研究、近代美術関連企画展および所蔵品展示、各種教育プログラムの開発と運営、学術活動や出版、近代美術関連情報の国際的交流など、様々な事業を推進しています。
作品説明会、講演会などの学術行事を開催し、美術全般に関する理解を助けており、多様な教育プログラムを開発・運営し、都心に位置した複合文化空間としての役割りを担っています。

世宗忠武公物語(세종충무공이야기)

世宗忠武公物語(세종충무공이야기)

765.2679363674796m    11990     2022-09-13

ソウル特別市チョンノ区セジョンデロチハ175

「世宗物語(セジョンイヤギ)」と「忠武公物語(チュンムゴンイヤギ)」は世宗文化会館で運営する展示館で、朝鮮4代王の世宗大王と、壬辰倭乱で功績を残した忠武公李舜臣将軍の生涯と業績を称えるために造成されました。世宗物語展示館は2009年10月9日、ハングルの日にオープンし、忠武公物語展示館は2010年4月28日、李舜臣将軍の誕生日に合わせてオープンしました。

光化門国際アートフェスティバル(광화문국제아트페스티벌)

光化門国際アートフェスティバル(광화문국제아트페스티벌)

765.0995823961617m    11024     2022-09-06

ソウル特別市チョンノ区セジョンデロ175
+82-2-723-9484~7

光化門(クァンファムン)広場は、韓国現代史の舞台となった場所の中でも民主化の象徴とも言える存在です。現在では韓国のさまざまな人々・団体による活発な集会・イベント、コミュニケーションの場として定着しているところで、特に2002年のワールドカップ開催時には通りを封鎖して国を挙げて韓国代表チームを応援するなどお祭りの場として新たな発展を遂げました。
光化門広場は、ただ単に歴史の一ページを築いた遺産としてだけでなく、今に生きる人々がともに参加する文化スペースとして、そして世界を代表する広場としてよく知られる広場となっています。そんな光化門広場などで毎年行われる「光化門国際アートフェスティバル」は、市民が参加する文化フェスティバルです。アート作品展示の活性化を目指し、さまざまな各種イベントを実施しています。
毎年、アーティストや来場者が活発に参加できるよう、さまざまなパフォーマンスを試み、アート作品の展示観覧だけにとどまらず、多彩なイベントや体験ブースが用意されています。

世宗大王銅像(세종대왕 동상)

世宗大王銅像(세종대왕 동상)

765.0995823961617m    66408     2024-03-05

ソウル特別市チョンノ区セジョンロ1-68

ソウルの光化門(クァンファムン)広場にある世宗(セジョン)大王の銅像です。世宗大王は朝鮮(1392~1897)の第4代王です。「ハングル」を創製するとともに科学技術を発展させ、朝鮮の領土を拡大した王として韓国史上最高の王とされています。韓国の1万ウォン札の肖像にもなっています。

徳寿宮(덕수궁)

徳寿宮(덕수궁)

767.8395469969291m    101922     2023-10-04

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

史跡・徳寿宮(トクスグン)は、元々王宮ではなく、成宗(ソンジョン=1457~1494年・在位:1469~1494年)の兄にあたる月山大君(ウォルサンデグン=1454~1488年)の住居として使われていました。
1592年壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により王宮が全焼し、翌1593年、仮の王宮・行宮(ヘングン=離宮)として使われるようになりました。 壬辰倭乱により朝鮮時代第14代の王・宣祖(ソンジョ=1552~1608年・在位:1567~1608年)が都を離れ義州(ウィジュ)に避難、その後、漢陽(ハニャン=現在のソウル)へ戻ってくると、居をここ徳寿宮に構えました。 宣祖の後を継ぐ第15代の王・光海君(クァンヘグン=1575~1641年・在位:1608~1623年)は、1608年行宮となっていたこの場所で即位、1611年この行宮を慶運宮(キョンウングン)と改称し、以降7年間にわたり王宮として使っていました。しかし1615年になると、昌徳宮(チャンドックン)に居を移し、それ以降は270年に渡り、離宮として使われることになります。

朝鮮王朝第26代の王で大韓帝国時代には皇帝でもあった高宗(コジョン)(1852~1919年・在位:1863~1907年)が1896年2月からおよそ1年間、ロシア公館に一時身を寄せ、翌年、王宮に戻ってきましたが、その王宮がこの場所で、以降この場所が再び王宮として利用されることになりました。
高宗が再び王宮として使うようになり王宮の名称も再び慶運宮と呼ばれるようになり、その規模も拡大しました。そして、高宗皇帝は1907年、朝鮮王朝第27代の王・純宗(スンジョン=1874~1926年・在位:1907~1910年)に譲位した後も引き続きここに住み続け、王宮の機能は昌徳宮へと移りました。
引き続き、慶運宮に住むこととなった高宗ですが、高宗の長寿を願って、名称を徳寿宮と改称しました。

このような経緯があったことから現在、元々の慶運宮という名称を使うべきであるという声も上がっています。徳寿宮には過去、数多くの建物が存在していましたが、18,635坪(約6.2ヘクタール)の敷地に残っているのは、大漢門(テハンムン)、中和殿(チュンファジョン)、光明門(クァンミョンムン)、昔御堂(ソゴダン)、浚明堂(チュンミョンダン)、即阼堂(チュクチョダン)、咸寧殿(ムニョンジョン)、徳弘殿(トコンジョン)、そして石造殿など一部にすぎません。

徳寿宮は、特に朝鮮時代末期から大韓帝国時代にかけての旧韓末の悲運の皇帝・高宗が日帝の圧迫により譲位を強要され、恨(ハン)に満ちた余生を送り、1919年1月22日、徳寿宮の咸寧殿で日帝により毒殺されたと人々に伝えられ、翌々月の3月3日に予定されていた高宗の葬儀の直前の3月1日に起きた3・1独立運動の直接的な引き金となった現場でもあります。



* 大漢門 -大漢門は現在では徳寿宮の正門となっています。元々の名称は大安門(テアンムン)で、王宮の東門として使われていました。この大安門は1906年に再建され「大漢門」という名称がつけられました。扁額の文字は当時、漢城府(ハンソンブ=現在のソウル)判尹(パニュン=漢城府の長)を務めた南廷哲(ナム・ジョンチョル)によるものです。

* 光明門 -光明門は王の寝殿・咸寧殿の正門で、光武(クァンム)8(1904)年の大火により焼失したものを、同年再建したものです。1938年、石造殿を美術館として使い始め、貞洞(チョンドン)にあった興天寺(フンチョンサ)の梵鐘や昌徳宮の報漏閣(ポルガク)にあった自撃漏(チャギョンヌ)を現在の場所へ移した際に光明門も同時に移築して現在のところに建て直しました。

* 石造殿 -大韓帝国時代、外国の使節と接見した場所です。光武4(1900)年着工、隆熙(ユンヒ)3(1909)年完成した石造の建物で、朝鮮王朝で最後に建てられた大規模建造物です。建物の外観は十九世紀初めの欧州で流行していた新古典主義様式に倣ったもので、正面にある柱の上部にはイオニア様式で施しており、室内はロココ調の装飾がなされています。建物は3階建てで、1階には接見場所が、半地下階には侍従らの控室の場所として使われ、2階には皇帝のスペースとなっていました。植民地支配が終わりを告げた1945年の光復(クァンボク)以降は米ソ共同委員会会議場、国立博物館、国立現代美術館、宮中遺物展示館などとして利用されました。

* 咸寧殿 - 宝物第820号に指定されている咸寧殿は1897年に建てられ、高宗皇帝が居を構えた建物として知られています。1904年の火災により焼失しましたが、同年建て直し現在に至っています。高宗皇帝は1919年1月21日この咸寧殿で薨去しました。その後使われなくなった咸寧殿に当時使われていた家具、書画、什器などを配置し、およそ100年前の王宮での暮らしぶりを改めて再現しました。

* 中和殿 - 大韓帝国の正殿として使われ、朝鮮王朝第26代の王・高宗の近代国家建設に懸ける自信が垣間見れる建物です。特に正殿内には御座の真上の天蓋を見ると、龍が二匹描かれているのが確認できますが、これは正殿の天井の龍のような模様となっており、徳寿宮が大韓帝国皇帝の皇宮であったことを感じされます。 現在残っている中和殿は1902年に重層の建物として建てられましたが、1904年の火災で焼失、その後1906年に平屋造りの建物で重建されました。

* 重明殿 - 重明殿(チュンミョンジョン)はロシアの建築家サバティ(Seredin Sabatin)の設計により1897年から1901年にかけて建築された皇室図書館です。地下1階を含む二階建ての西洋式の建物で、当初は漱玉軒(スオゴン)と呼ばれていました。2009年12月に復元され、2010年8月からは展示館「大韓帝国の運命をかけた場所、徳寿宮重明殿」として一般に公開されました。

* この他、昔御堂、浚明堂、即阼堂、静観軒(チョングァノン)、徳弘殿、報漏閣自撃漏などがあります。

忠武公李舜臣銅像(충무공 이순신 동상)

忠武公李舜臣銅像(충무공 이순신 동상)

781.3523238806707m    64581     2024-03-18

ソウル特別市チョンノ区セジョンロ1-68

ソウル光化門(クァンファムン)広場にある忠武公(チュンムゴン)李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像です。李舜臣将軍は、日本が朝鮮に侵攻した壬辰倭乱(1592~1598)の時、海軍司令官として先進的な戦術により日本の海軍との23回にわたる戦いですべて勝利を収めた名将で、韓国史上最も優れた武将の一人とされています。韓国の100ウォン玉には李舜臣将軍の肖像が刻まれています。

光化門広場(광화문광장)

793.1205886568931m    31039     2024-02-19

ソウル特別市チョンノ区セジョンデロ172

2022年8月に新たな姿にリノベーションされ、一般開放された光化門(クァンファムン)広場。600年の歴史を持つソウルの中心にある通り、世宗路のかつての姿である六曹通りの復元を通じ、歴史・文化体験空間として生まれ変わりました。入口の「光化門の歴史をよみがえらせる広場」には月台(ウォルテ)が再現され、悪霊を祓うという想像上の動物ヘテ像が復元されました。また、世宗路公園周辺エリアの「六曹通りの風景を再現した広場」には、かつて漢陽の中心だった六曹通りの面影を再現し、ジオラマも設置されています。景福宮や北岳山などの美しい自然景観を望みながら散策するのにぴったりです。

ステイデイオフ(STAY dayoff)[韓国観光品質認証] (스테이 데이 오프 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

ステイデイオフ(STAY dayoff)[韓国観光品質認証] (스테이 데이 오프 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

799.5272274684161m    759     2021-09-01

ソウル特別市鐘路区チャハムンロ1タギル6

ソウル地下鉄3号線キョンボックン駅から近い西村グルメ横丁の後側にある韓屋である。駅から徒歩5分でアクセスに恵まれている。玄関に入ると、石と苔で飾られた小さい庭園が目立つ。近代風韓屋に現代的な感覚を加えた新鮮なインテリアも目を引く。韓屋は本棟とピョルチェ(別棟)で構成されている。本棟にはクイーンサイズベッドのある2つの寝室が居間兼キッチンでつながっていて、内部にはトイレも2つある。
ステイデイオフには隠れているスペシャルスペースがあるが、そこはピョルチェ。大きい窓と半身浴のできるバスタブ、サウナ施設がある。窓を開けると庭と韓屋を眺めながら露天風呂を存分に味わうことができる。定員は4人で、平日に2泊以上泊まる場合は総額の10%を割引。3泊以上は寝具とタオル交換、掃除サービスが提供される。

一民美術館(일민미술관)

一民美術館(일민미술관)

815.0502670974582m    6693     2022-08-17

ソウル特別市チョンノ区セジョンデロ152

東亜日報旧社屋に位置する「一民(イルミン)美術館」は、生涯を言論と文化の振興に捧げた一民・金相万先生(元東亜日報名誉会長)の遺志を継ぐ一民文化財団が運営しています。
一民文化館として出発、1996年12月に一民美術館として登録され、2001年に全面リノベーションを経て2002年2月に2つの大型展示室と一民コレクションを備えた現在の姿に生まれ変わりました。
高麗時代から近代に至るまで、金相万先生が集めた陶磁器や絵画が430点、東亜日報で委託した所蔵品が1200点、主に社会的なメッセージが強い作品を集めた現代美術品が100点という数に上ります。