4.8Km 2023-07-06
テグ広域市チュン区トンサン洞
チョンナオンドク(青蘿丘)友達思い歌碑横から市内に下る90階段までは3·1運動当時に万歳運動を準備していた学生たちが日本軍の監視を避けて都心に集まるために通った松林の道です。階段道には3·1運動当時の姿をうつした写真が展示され、その意味を増しています。
4.8Km 2024-07-08
テグ広域市チュン区ソソンロ10
大邱桂山洞聖堂は1886年、大邱地域での宣教活動を任されて赴任したロバート(Robert,A.P. 1853~1922)神父が今の桂山洞聖堂の敷地を買い取って建設が始まりました。1899年に韓国式木造で十字型の建物として建てられましたが1年あまりで焼失してしまいました。その後、再建築に着手してロバート神父が設計し、国内では探すのが難しいトタンやステンドグラスなどの材料はフランス及び香港から持ち込み使用しました。建物は工事が始まって3年が過ぎた1902年に完成しました。この建物は大邱地域では唯一残っている1900年代初期の建築物です。聖堂の平面はラテン十字型 (Latin cross)で中心の身廊(nave)と両側の翼廊(transept)から構成されています。この平面の構造は聖堂の平面、建物の外部と内部空間からはっきりと見ることができます。また、建物は全体的に鈍重なロマネスク様式を帯びていますが、尖塔とステンドグラス等のゴシック的要素が部分的に表現されています。
大邱桂山洞聖堂は嶺南地方に天主教(カトリック)を土着化するのに中枢的な役割をし、1911年朝鮮教区から分離、大邱大教区主教座本堂になり、初代主任神父にはロバートが任命されました。聖堂の敷地には設計者を記念する銅像と主教館があります。この聖堂の建物から東に約600メートル地点にある観徳亭殉教記念館には乙亥(1815年)・丁亥(1827年)・丙寅(1866年)迫害のとき仲間たちの隠れ家だったハンティコゲ・シンナムゴルなど交友村で捕まって処刑された殉教者らの遺物30点余りなど65点の遺物が展示されています。
4.9Km 2023-02-02
テグ広域市チュン区ナムソンロ22
嶠南(キョナム)YMCA会館は大邱薬令市に位置する国家登録文化財です。日帝強占期 、3·1独立運動における和合の空間であり物産奨励運動、キリスト教農村運動、新幹会運動などキリスト教民族運動の拠点だった建物です。また大邱中区の近代歴史の重要な施設として李萬集(イ·マンジプ)牧師3.8万歳運動記念地として韓国キリスト教史跡に指定されています。青年を中心に各種事業を活発に進め、特に当時産業の大部分であった農村事業を体系化しようと全国各地に農民学校を設け、協同組合、農民会、夜学などを組織して農村の青年に新たな地平を開きました。