15.9Km 2024-03-21
キョンギ道ナミャンジュ市ファド邑ポクポロ562
ピアノ滝は、和道プルンムルセンター内にある高さ61メートルの人工滝です。鉄骨で骨組みを立て、人工岩盤で崖を作りました。下水処理場からの放流水をポンプで汲み上げて流す仕組みになっています。向かい側には、「美しいトイレ大賞」を受賞したピアノ型の建物があります。滝の前には生態公園が整備されており、散策を楽しむのに適しています。
16.0Km 2025-06-10
キョンギ道ナミャンジュ市チンジョプ邑ポンソンサギル32
奉先寺(ポンソンサ)の歴史は高麗時代に始まります。 もともと奉先寺の場所には969年に法印国師が創建した雲岳寺(ウナクサ)という寺がありました。その後廃墟となったものを、1469年(朝鮮王朝8代王睿宗元年)、貞熹王后尹氏(7代世祖の王妃)が世祖の魂を奉安するためにたて直し、奉先寺と改称しました。壬辰倭乱、丙子胡乱、韓国戦争などを経て焼失と再建が繰り返されました。奉先寺の大雄殿にかけられた扁額には漢字で大雄殿ではなく、ハングルで큰법당(大法堂)と書かれており異彩を放ちます。これは1970年に耘虛(ウンホ)住職が大雄殿を建てた際に書いたものです。その他境内には1469年に王室の命によって作られた奉先寺銅鐘(宝物)があります。壬辰倭乱以前に作られた銅鐘のうち、現存する数少ないもので、朝鮮王朝前期の銅鐘研究に関する貴重な資料となっています。寺から100mほど離れたところには春園・李光洙先生(小説家)の記念碑があります。
16.5Km 2024-10-17
京畿道 南楊州市 榛接邑 光陵樹木園路354
京畿道南楊州市榛接邑にある「光陵(クァンヌン)」は朝鮮第7代王世祖とその妃、 貞喜王后尹氏の陵です。光陵は王と王妃をそれぞれ別に奉安しました。左の封墳が世祖の陵で、右の封墳が貞喜王后の陵です。二つの稜の中間地点に一つの丁字閣を立てる形式で造られました。
世祖は世宗と昭憲王后の間に生まれました。文宗が死に幼い甥の端宗が王位につくと1453年、癸酉靖難(政権を奪い取る目的で反対派を厳しく取り締まった事件)を起こし朝鮮7代王に即位しました。
光陵周囲にはさまざまな生物の自生する森が形成されており、山林庁の研究機関が管理を行い、樹木園を造成しました。光陵は天然記念物に指定されているキタタキの生息地として有名です。また、稜の周辺の森はチョウセンマツやモミ、マツ等の老木が広がり、ドライブコースとしても知られています。
17.1Km 2024-06-27
キョンギ道ナミャンジュ市チンジョン邑チャンヒョンロ77
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17.4Km 2025-11-25
カンウォン特別自治道チュンチョン市ナムサン面ヘッコルギル80
「森の中で出会う小さなヨーロッパ」というテーマで造られたエキゾチックな樹木園。約16万3500平方メートルの敷地に、自然の地形をできるだけそのまま生かした24のテーマ庭園が造られています。樹木園の入口にあるイタリア・トスカーナ風の訪問者センター、イギリス風の花壇で飾られたイギリス式ボーダーガーデン、イタリア風の庭園様式と水路のあるイタリアン・ウェディングガーデンなど、あちこちからヨーロッパの感性が感じられます。樹木園を巡る散策路は、大きくナムネウム(木の香り)道、紅葉の道、スプソクパラム(森の中の風)道の3つからなっています。中心部のナムネウム道にはウッドチップが敷かれており、テーマ庭園各所へのアクセスが良くなっています。紅葉の道は樹木園の若干高いところにあり、静かに散歩するのにぴったりで、スプソクパラム道は木々が生い茂っていて涼しく、夏に歩くのにいい道です。各コースは片道40~60分ほどかかり、途中途中で互いにつながっています。すべてのコースは訪問者センターから始まり、最も高いところにあるホワイトガーデンかスカイガーデンで終わっています。散歩の途中でドリンクを片手にひと休みできるカフェをはじめ、レストラン、記念品店などの施設があります。時期別に夜間開放を行っていて、京春線屈峰山駅と樹木園を往復するシャトルバスが運行されています。