2.2Km 2025-05-16
ソウル特別市チュン区セジョンデロ99
大韓帝国の外交空間として企画された惇徳殿(トンドクチョン)は、徳寿宮内にある2階建ての洋館。惇徳殿は高宗が即位40周年記念行事の場として使用するため 建てた洋館で日本によって取り壊されたものの、2017年発掘調査をスタートし2023年9月正式に一般公開されました。新しく開館した「惇徳殿」は、大韓帝国の外交の場という歴史的な意味を生かして内部空間を、大韓帝国の外交史中心の展示と記録保管、図書閲覧、国内外の文化交流と芸術行事のための空間としています。
2.2Km 2021-04-15
ソウル特別市 中区 マルンネ路2キル 25-1
+82-2-2266-3208
会社員に人気のお店です。代表的なメニューはカルビの蒸し物定食です。ソウル特別市チュンムロ駅の近くに位置した韓食専門店です。
2.2Km 2024-03-11
ソウル特別市チュン区ミョンドン10ギル16-1
+82-2-3789-0110
ノルブプデチゲ明洞(ミョンドン)は、明洞に位置しているプデチゲ専門店です。プデチゲはハム、ソーセージ、キムチ、インスタントラーメン、餅、春雨などに辛いソースをかけて煮込んだ、韓国を代表するヒュージョン料理です。牛骨のだし汁に良質のハムとソーセージを使い、揚げてない生の麺を使うため味が淡泊で辛いです。コプチャンとエビを辛味に仕上げたコプチャンとエビメニューと味付けたイイダコやタッカルビを鉄板に炒めて食べる料理もあります。
2.2Km 2021-04-09
ソウル特別市 鐘路区 彰義門路118
「彰義門(チャンイムン)」は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。
城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。
彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。
彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。
時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。
2.2Km 2024-02-15
ソウル特別市ソンブク区トンソムンロ37
小雪園・書架(ソソルォン・ソガ)は、大学路周辺にあるカフェで、雪の降る小さな庭という意味を持っています。5階建てで、各階の雰囲気が異なるので、見て回る楽しみがあります。シグネチャーメニューは濃厚な原乳のコクのある風味を楽しむことができ、柔らかな食感が特徴のミルクプリンです。脂っこくないクリームとマシュマロが入った黒糖アインシュペーナーも人気です。周辺の観光スポットには、マロニエ公園、ドリームアートセンターがあります。
2.2Km 2024-04-24
ソウル特別市チュン区ナムデムンロ67(ナムデムンロ2ガ、ロッテヤングプラザ) ロッテ百貨店本店1階カカオフレンズ
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