3.7Km 2024-04-22
ソウル特別市ヨンサン区ハンナムデロ20ギル21-18
SOSEOULは、漢南(ハンナム)洞にあるファインダイニングの韓国料理店です。洗練された韓国料理を現代風にアレンジして提供しており、メニューはランチコースとディナーコースのみとなっています。オタカラコウと熟成キムチといっしょに食べる刺身をはじめ、イイダコの炭火焼きやチキン料理が人気を集めています。伝統酒と料理とのペアリングも色々体験できるお店で、「ミシュランガイドソウル2023」に掲載されました。
3.7Km 2024-02-15
ソウル特別市ソンドン区トクソダンロ40ギル25-1 1階
夫婦料理団(プブヨリダン)は、梨泰院(イテウォン)観光特区から20分のところにある韓国料理店です。ホテルのレストランで経験を積んだシェフ夫妻が営むお店で、様々な海鮮料理を味わうことができます。看板メニューはゆで肉と海鮮の蒸し物で、莞島(ワンド)産の天然タコ、アワビ3杯、黒豚のゆで肉を味わうことができます。周辺の観光スポットには龍山(ヨンサン)公園、国立中央博物館、国立劇場、南山(ナムサン)ソウルタワーがあります。
3.8Km 2023-07-11
ソウル特別市ヨンサン区ハンガンデロ100
白磁をモチーフにし、龍山(ヨンサン)を代表する建築物となったアモーレパシフィック本社の新社屋1階に美術館があります。ソウル特別市ヨンサン区に位置するアモーレパシフィック美術館は、アモーレパシフィックの創業者、故・徐成煥(ソ・ソンファン)会長のコレクションを展示していた博物館を、2009年にアモーレパシフィック美術館(APMA、Amore Pacific Museum of Art)に改称したものです。「日常の中の美しさを発見する開かれた空間」を目指し、人々と触れ合う場所を目指して設立されました。このような目的に沿って、韓国の古美術と国内外のモダンアートを収集・研究・展示しており、関連研究者や学会、若手アーティストを支援しています。地下1階の展示室では、古美術とモダンアート、韓国美術を網羅する多彩な企画展が開かれています。地上1から3階まで続く「アトリウム」の1階には、美術館のロビー、ミュージアムショップ、展示スペースの「APMAキャビネット」、世界の展覧会の図録を集めたライブラリー(apLAP)があります。
3.8Km 2024-02-22
ソウル特別市マポ区トファ2ギル20
Base is Nice(ベースイズナイス)は、野菜中心の食生活を目指すお店で、野菜を中心にシンブルでありながらバランスの取れた料理を提供しています。野菜を使った丼ぶりものや、丁寧につくられた汁物とおかずは、すっきりとした味わいで美味です。看板メニューは野菜スープで、他にもゴボウ焼きご飯、トウモロコシご飯などを販売しています。美味しく健康に良い食事を楽しむことができ、「ミシュランガイドソウル2023」にも選ばれています。
3.8Km 2021-04-09
ソウル特別市 鐘路区 彰義門路118
「彰義門(チャンイムン)」は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。
城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。
彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。
彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。
時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。