1.1Km 2024-04-24
ソウル特別市チュン区ナムデムンロ67(ナムデムンロ2ガ、ロッテヤングプラザ) ロッテ百貨店本店1階カカオフレンズ
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1.1Km 2024-03-15
ソウル特別市チュン区ウルチロ13ギル19
+82-2-2274-1040
満船(マンソン)ホープは、乙支路(ウルチロ)のスケトウダラの干物屋通りに位置しているビアホールです。路上の簡易テーブルで干し姫タラやフライドチキンなどのつまみにビールを楽しむ人々で夜遅くまで賑わう場所でもあります。冷たい生ビールと干し姫タラ焼きを辛いソースとマヨネーズにつけて食べながら気軽にビールを楽しむにはピッタリの場所です。つぶ貝の和え物と卵焼きも人気メニューです。
1.1Km 2025-01-06
ソウル特別市チョンノ区チャンギョングンロ185
昌慶宮(チャンギョングン)は世宗大王(セジョンテワン)が王位を退位し上王となった太宗を迎えるため、1418年建てた寿康宮(スガングン)がその始まりです。以降、朝鮮王朝第9代の王・成宗(ソンジョン)の施政になり、第7代の王・世祖(セジョ)の后・貞熹王后(チョンヒワンフ)、世祖の子で即位することなくこの世を去った徳宗(トクチョン)の后・昭恵王后(ソヘワンフ)、第8代の王・睿宗(イェジョン)の后・安順王后(アンスンワンフ)を迎えるために明政殿(ミョンジョンジョン)、文政殿(ムンジョンジョン)、通明殿(トンミョンジョン)を建て、昌慶宮と命名されました。
昌慶宮には辛い歴史が数多くあります。壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の時には建物が全焼し、 李适(イ・グァル)の乱や丙子胡乱(丙子の乱)の時にも禍を受けました。朝鮮王朝第19代の王・粛宗(スクチョン)の時代の仁顯王后(イニョンワンフ)と張禧嬪(チャン・ヒビン)、朝鮮王朝第21代の王・英祖(ヨンジョ)の時代、英祖の次男で米櫃に閉じ込められ死に至らしめられた思悼世子(サドセジャ)の逸話などが昌慶宮に残されています。
史跡・昌慶応宮は日帝強占期に日帝により昌慶苑に格下げされ、動物園になってしまいましたが、日帝の残滓をなくすべく韓国国民の努力により1987年から古の本来の王宮の姿を取り戻しました。
弘化門(ホンファムン)、朝鮮王朝の正殿の中で最も古い建物である明政殿(ミョンジョンジョン)、通明殿(トンミョンジョン)、養和堂(ヤンファダン)、春塘池(チュンダンチ)などがあり、陸橋を渡って宗廟(チョンミョ)とも行き来ができます。
主な文化財 - 弘化門(宝物)、 明政門(宝物)、明政殿(宝物)、通明殿(宝物)、玉川橋(オクチョンギョ宝物)
1.1Km 2022-12-26
ソウル特別市チョンノ区チャンギョングンロ185
「弘化門(ホンファムン)」は昌慶宮の正門に正面3間、側面2間の重層寄棟屋根で多包式で作られています。石造の基壇の上に、原型の礎石を置いており、門楼下層は両開きの板門が設置され、出入りできるようにし、上層は板床の楼が設置されています。大韓民国の宝物に指定されています。当初1484年に建てられましたが壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際に焼失し、1616年に再建されました。
1.1Km 2024-10-10
ソウル特別市チョンノ区サムチョンロ7ギル38
K.O.N.G. GALLERY(コン・グンヘギャラリー)は2005年に開館して以来、世界的な写真家を本格的に韓国で紹介し、韓国の写真界に大きな影響力を与えたギャラリーです。2010年に三清洞(サムチョンドン)の青瓦台の隣に新築・移転したのに合わせ、絵画、彫刻、ビデオアート、インスタレーションなど、多彩な現代美術を受け入れるギャラリーへとその領域を広げました。パリ、ロンドン、ニューヨークを拠点として活動するアーティストたちを中心に交流し、21世紀の現代美術の潮流を示す作品を展示しています。また、韓国の若手アーティストを発掘し、活発な海外活動を支援するなど、韓国のギャラリーとしての重要な役割を果たしています。
1.2Km 2023-09-05
ソウルトゥクピョルシ チョンノグ チャハムンロ7(チル)ギル 28-3
+82-2-473-9680
ソウルの鐘路の西村にある「西村ゲストハウス」は、90年になる韓屋であり、2階の洋館が一緒に調和しています家であります。旅行客は1階の客室と板の間を自由に利用でき、食事は6種飯床を提供します。ゲストハウスの副題「チェミナンゴル」では、韓国の伝統的な趣を伝えるため、年に2回、庭でパンソリの公演を繰り広げて、国楽体験、韓服体験、韓国料理作り、仁王山-北岳山の城郭道の探訪、景福宮などの古宮ツアー、伝統市場の体験等の様々なプログラムも提供しています。