13.2Km 2024-02-29
キョンギ道パジュ市ウォルロン面タラクゴゲギル121-2
031-945-0898
楊平ヘジャンククは、月籠(ウォルロン)市民公園近くに位置している韓国料理店です。看板メニューはソンジ酔い覚ましスープ(牛血と野菜を煮込んだスープ)です。たっぷりと材料を入れて盛りたくさんで、身体の奥まですっきりとする熱いスープが格別です。より辛いスープを楽しみたい場合は、ラー油とトウガラシの漬物をもう少し追加すれば良いです。周辺の観光スポットとしては坡州(パジュ)出版都市、ヘイリ芸術村、臨津閣(イムジンガク)があります。
13.2Km 2022-11-10
キョンギ道パジュ市チョリ邑サムヌンロ89
坡州三陵は恭陵、順陵、永陵の3つの陵で構成されています。恭陵は朝鮮第8代睿宗の太子妃である章順王后(1445-1461年)韓氏の墓ですが、章順王后が太子妃として亡くなったので簡略に作られました。一般的に立てられる望柱石(墓の前の両側にたてる一組の石柱)も省略されています。順陵は朝鮮第9代成宗の妃である恭恵王后(1456-1474年)韓氏の単陵です。全体的な陵の構成形式は恭陵と同じですが、順陵は王妃の陵であるため、恭陵に比べて、多くの石物(墓の前に置かれる石で作られたさまざまな物)が置かれています。恭恵王后は韓明澮の4番目の娘で、恭陵に埋葬された章順王后とは実の姉妹でした。 姉妹が揃って王妃となった例は、朝鮮王朝500年の歴史で前例がないことでした。永陵は英祖の長男である追尊王真宗(1719-1728年)と彼の妃である孝純王后(1715-1751年)趙氏の陵です。真宗は7歳で皇太子に冊封されましたが、1728年に夭折し(若くして亡くなり)ました。孝純王后は13歳で太子妃に冊封され、1751年に子のいないまま37歳で亡くなりました。
13.9Km 2024-09-23
京畿道 金浦市 月串面 浦内里
+82-31-980-2485
文殊山城は京畿道金浦市に位置する文殊山にあり1964年8月29日に史跡に指定されました。海からの外敵を防ぎ、江華島を防衛するために築かれた城です。当時北門、西門、南門がありましたが1866年丙寅洋擾の際に焼失してしまいました。現在北門は1995年、南門は2002年に復元されています。城の全長は約6キロですが現在未復元区間が約4キロ残っています。文殊山城は秀麗な周辺環境で、頂上からは北韓(北朝鮮)や漢江港口、ソウルの三角山、遠くには仁川の沖合いまで見渡すことができます。また四季を通して自然の景観が美しいため、金浦の金剛ともいえます。旧韓末の外勢の侵略に抵抗した生きた教育の場であり、近くには新羅の真聖女王の時代に創建したという文殊寺もあります。
14.1Km 2018-01-09
京畿道 高陽市 徳陽区大舟路107番キル 71-81
大谷(テゴク)駅は京義線、郊外線(現在営業運転中止)の一部駅と一山線を管轄する駅です。2008年3月郊外線・大谷~大井間の線路移設により閉鎖された後は、京義線(京義中央線)とソウル地下鉄3号線に相互乗り入れしている一山線との首都圏広域電鉄の乗換駅として機能しています。
14.2Km 2024-03-22
キョンギ道パジュ市タンヒョン面チョンスンロ88ボンギル23-81
黄喜政丞墓(ファンヒジョンスンミョ)は、朝鮮初期に活躍した黄喜(ファン・ヒ)の墓です。墓域は3段で整備されており、墳丘の規模も大きなものとなっています。黄喜は、朝鮮の基盤づくりに大いに貢献した官吏で、朝鮮第3代国王の太宗(テジョン)と第4代国王の世宗(セジョン)を補佐し、外交・法治・科学・国防の分野において大きな業績を残しました。子孫が尊敬の念を込めて墓地を整備しました。
14.4Km 2020-12-19
京畿道 金浦市 大串面 薬岩里965-7
「薬岩紅塩泉観光ホテル」は、71の客室と各種施設が揃ったホテルで、約1千名を同時収容できるマンモス浴場があります。
江華と大明里間の草芝大橋が目の前にあり、江華島への外出とともに、ソウルや仁川地域の週末の外出を兼ねた紅塩泉入浴で脚光を浴びているスポットです。紅塩泉の特徴は、朝鮮時代に江華の哲宗大王が目の病気にかかり、故郷の江華に来る途中、ここの水で目を洗い病気が治ったため地名を薬岩としたと伝えられています。
紅塩泉湯とは、地下岩盤460メートルから熟成湧出され大気中で汚染されない純粋な光塩泉水で、塩分が海水濃度の10分の1程で、鉄分と無機質が多量に含まれています。湧出後10分程度経つと色が赤く変わるのが神秘的な世界唯一の水です。