観光 - 韓国旅行情報

順天倭城(순천왜성)

順天倭城(순천왜성)

2021-07-21

全羅南道 順天市 海龍面 新城里

順天倭城(スンチョンウェソン)は1597年の丁酉再乱(慶長の役)の時、宇喜多秀家と藤堂高虎が中心となって全羅道を攻略するために築いた日本式の城で、小西行長率いる約1万4千人の兵が駐屯し、明・朝鮮連合軍と2度に渡って激戦を繰り広げました。
順天倭城は水陸交通の要衝地で、城郭の規模は120,595平方メートル(36,480坪)、外城2,502メートル、内城1,342メートル。外郭城(土石城)3城、本城(石城)3城、城門が12門あり、剣丹山城(コムダンサンソン)側に堀をつくって海水を引き入れ、浮き橋を架けました。このことから韓国では曳橋(イェギョ)または倭橋城(ウェギョソン)と呼ばれました。

三陟 濬慶墓(삼척 준경묘)

三陟 濬慶墓(삼척 준경묘)

2020-12-17

江原道 三陟市 未老面 濬慶キル333-360

「濬慶墓(チュンギョンミョ)」は、三陟市 未老面 活耆里にある朝鮮1代目王の太祖の5代祖の墓で、陽茂将軍の墓として1899年に永慶墓と共に修築され祭閣と碑閣が建てられました。特に、周辺には青々とした松林が広がっており、森林浴を楽しむのにも最適で、近くには観光農園もあります。毎年4月20日には全州李氏の一族により祭祀が執り行われます。

鎮下海水浴場(진하해수욕장)

鎮下海水浴場(진하해수욕장)

2024-12-03

ウルサン広域市ウルジュ郡ソセン面チンハ里

鎮下(チンハ)海水浴場は、蔚山一の海水浴場で、砂浜は長さ1キロメートル、幅40メートル以上、1日の収容人数は約5万人となっており、 全国各地から大勢の避暑客が訪れます。2つの海中岩からなる二徳島や松林が茂った名仙島など、美しい島や松林があり、遠浅の海水浴場なので家族連れにぴったりです。また全国で水質が一番良いという評判とあわせて蔚山から20分、釜山から40分台でアクセスでき、交通の便も良い他、海水浴場と艮絶岬灯台の周辺は釣り場としても人気があります。その他鎮下海水浴場の近く(約700メートル)にある名仙橋は蔚山の夜景スポットとしても有名で、夜には橋の照明と街の明かりが灯り、夜の海を美しく彩ります。 (出典:蔚州観光ホームページ)

◎ 韓流旅行情報-ドラマ『生まれ変わってもよろしく』
ソハとドユン、ジウムとチョウォンが肩を並べて歩いたビーチです。蔚山の代表的な避暑地の一つであり、青い海と松林の森、名仙島が調和した絶景を堪能できます。夜になると、華やかなイルミネーションのほか、虎や滝などの多彩なメディアアートで彩られ、夜景スポットとしても人気です。

蔚州川前里の銘文と岩刻画[ユネスコ世界遺産](울주 천전리 명문과 암각화 [유네스코 세계유산])

蔚州川前里の銘文と岩刻画[ユネスコ世界遺産](울주 천전리 명문과 암각화 [유네스코 세계유산])

2025-08-28

ウルサン広域市ウルジュ郡トゥドン面チョンジョン里サン210-2

川前里(チョンジョンリ)の銘文と岩刻画は太和江支流である大谷川中流の岸に位置する、各種図形・文字・絵が刻まれた岩石で、上下2段に分けて互いに異なる内容が異なる技法で表現されており、びっしりと全体的に彫刻がみられます。上段にはやや深く太めの線を刻む技法で幾何学模様や動物、抽象化された人物などが彫刻されています。写実性に欠ける単純化されたものですが、中央部の太陽を象徴するような円を中心に、両側に4頭のシカが走る姿と一番左の半人半獣像(頭は人、体は動物)が目につきます。表現は素朴ながらも象徴性を持っているようなこれらの絵は青銅器時代に製作されたものとみられています。下段は細い線で刻んだ絵と文字が入り混じっており、騎馬行列図、動物、龍、船を描いた絵など多様な内容で構成されています。このうち騎馬行列図は3ヶ所で見られ、シンプルな点と線だけでその姿がよく表現されています。船の絵は当時の新羅人の海上活動をうかがう重要な資料になります。文字は800字を超え、王と王妃がここを訪れたことを記念する内容で、法興王の時代に2回にわたって刻まれたものと考えられています。この内容のなかには官職名や6部体制に関した言及が含まれ、6世紀頃の新羅社会研究の貴重な資料となっています。長い時間をかけて多くの人々が成し遂げた作品で、先史時代から新羅時代までの生活や思想などが描かれています。特定の時代を代表するというより、さまざまな時代の姿が盛り込まれていることから、より意味のある遺跡といえます。
2025年7月12日、「蔚州大谷里(テチョンリ)の盤亀台岩刻画」と「蔚州川前里の銘文と岩刻画」をあわせた区間約3㎞の「盤亀川の岩刻画」はユネスコ世界遺産に登録されました。

紫水晶洞窟の国(자수정동굴나라)

紫水晶洞窟の国(자수정동굴나라)

2022-09-06

ウルサン広域市ウルジュ郡サンブク面チャスジョンロ212

「紫水晶洞窟の国(チャスジョンドングルナラ)」は、紫水晶の鉱山の廃坑道を活用してつくられた韓国初の人工洞窟観光地です。迷路のように繋がる洞窟は、全長2.5キロメートル、幅約16,529平方メートル、年間平均温度12~14度で、紫水晶の石を観察できると共に、各種展示物や公演を観覧することができます。洞窟の外にはソリゲレンデや遊戯施設、陶磁器学習場などがあります。

内院庵(蔚山)(내원암(울산))

内院庵(蔚山)(내원암(울산))

2025-03-27

蔚山広域市 蔚州郡 温陽邑 テウンサンデキル382

2025年3月27日現在、この地域は山火事の鎮火作業を行っております。訪問時は必ず最新情報をご確認ください。
※最新情報は山林庁リアルタイム山火事情報(https://fd.forest.go.kr/ffas)や国民災難安全ポータルの災難安全状況情報(https://www.safekorea.go.kr)などをご覧ください。


大雲山のふもとであるこの地には、新羅中期に大原寺を創建した高峰禅師が「嶺南第一の名堂」と絶賛した「内院庵(ネウォンアム)」があります。
内院庵の入口には、内院庵の本寺であった大原寺の址があり、近くを流れる渓谷の水は清くきれいなことでも知られています。内院庵が誇る樹齢500年を越すエノキの古木は、時の流れと歴史の深さを感じさせてくれ、またその形がゾウの形に似ていることから訪れる人々の注目を集めています。近年では、宗教間の壁を取り除こうという目的で毎年蔚山地域の聖職者たちが集まる山寺音楽会が開催されており、好評を得ています。千年の歴史が詰まった内院庵は、蔚山地域の代表的な祈祷地であると同時に、宗教を超越した地域の文化空間としての役割も果たしています。

太和江国家庭園(태화강 국가정원)

太和江国家庭園(태화강 국가정원)

2025-07-29

ウルサン広域市チュン区テファガングッカジョンウォンギル154

2019年、国家庭園2号に指定された太和江(テファガン)国家庭園は83万5452平方メートルで、生態・竹・ムクゲ・参加・季節・水生という6つのテーマを持つ庭園や緑地、その他利便施設などを備えています。

◎ 韓流旅行情報-ドラマ『もうすぐ死にます』
自身の母親に転生したイジェが母を思い出しながら訪れた場所で、太和江沿いに整備された6つのテーマの庭園はどれも美しい風景を誇ります。作中では、風景と対照的なイジェの切ない表情が視聴者の涙を誘いました。

看月庵(瑞山)(간월암(서산))

2022-11-10

チュンチョンナム道ソサン市プソク面カヌォルド1ギル119-29

忠清南道瑞山市浮石面看月島里にある「 看月庵(カヌォラム)」は、 看月島という小さな島にある庵です。朝鮮の太祖である李成桂の王師であった無学大師が建てた庵で、無学がここで月を眺めていた際に悟りを開いたといわれていることから看月庵と名づけられたといわれています。
看月庵は、引き潮の時は陸地に、満ち潮の時は島に変わるという珍しい位置に建っており、周辺の島々と調和を成す日没の時間と月が海の上に輝く時間は特に美しい景観を誇ります。

処容岩(처용암)

2024-09-20

蔚山広域市 南区 黄城洞

処容岩(チョヨンアム)は蔚山広域市南区黄城洞(ファンソンドン)セチュク村前の外煌江(ウェファンガン)という川にある開雲浦(ケウンポ)という浅瀬の真ん中に浮かぶ岩の島です。
30平方メートルほどの小さな岩で出来たこの島は疫病神を追いやる力を発揮するという処容符籍にまつわる伝説が伝えられている中州で、三国遺事に書かれている処容郎の伝説と関係が深い由緒ある岩島でもあります。

新羅時代の第49代の王・憲康王(ホンガンワン・在位:875∼886年)がこの地を訪れ散策しそろそろ帰ろうかと川辺で一息ついていると、昼間にもかかわらず突然雲が立ち込め霧が深くなり、どこにいるのか見失ってしまいました。
天体観測や占星術を行っていた官職・日官(イルグァン)曰く、東海(トンへ)の海にいる龍が癇癪を起こしているためだとし、何か善行を行いこれを解かねばならないと進言しました。これを聞いた憲康王は勅命を下し、この川の近くに龍の怒りを治めるための寺を建立するよう命じると、それまで垂れ込めていた雲や霧がさっと晴れたという伝説が残っています。その伝説に登場する寺が現在の蔚州郡(ウルジュグン)青良面(チョンニャンミョン)に残っている望海寺(マンヘサ)です。また伝説の舞台となったこの場所は雲が晴れた浅瀬の浦口ということで開雲浦(ケウンポ)と呼ばれるようになりました。

川の近くに寺を建てるという新羅の王・憲康王の話を聞いた東海(トンへ)の海にいる龍の王はこのことを大変喜び、7人の王子を引き連れ海から陸にやってきて、憲康王の面前で舞を踊り音楽を演奏しました。
その7人の龍の王子のうちの1人が新羅の憲康王に従い新羅の都であった古都・慶州(キョンジュ)に入洛、憲康王の政(まつりごと)に仕えることになりましたが、その人物こそが処容(チョヨン)でした。
新羅の憲康王は自らの政の一員となった処容に美しい女性を妻にあてがい、新羅の官職のひとつである級干(クッカン)の地位まで与え、憲康王のそばに仕えさせたといいます。

ところがある日、美しい処容の妻を妬む疫病神が人の姿に変身し、夜になり忍び込み妻の寝床に入りこんで来ました。処容は外から帰ってくると、寝室で妻と疫病神が寝床で一緒に寝ている姿を目撃したにもかかわらず、処容は怒ることもなく歌を口ずさみ舞を踊り、そして部屋からすっと出ていきました。これを見た疫病神はその処容の寛容さに感激しひざまずき、これ以降、処容の姿を描いた絵を見ただけでもそこには現れなくなったと言います。

処容が自分の妻と寝床に横たわっている疫病神に向かって歌った歌が、かの有名な新羅郷歌「処容歌(チョヨンガ)」で、処容岩の前にある碑石に刻まれている歌がまさにその歌詞です。処容が舞ったという処容舞(チョヨンム)は国家無形文化財として伝承されており、また処容岩は東海の海からやってきた龍の王が7人の王子を引き連れてやってきた開雲浦ゆかりの岩として地方記念物に指定され、処容の伝説とともに巷の人々に語り継がれています。
椿や藤の木など四季を通じて青々とした木々が覆い絶景を誇る目島(モクト・天然記念物)も近くにあり、見どころが多い観光地として有名な場所です。

蔚山野花学習園(울산 들꽃학습원)

2021-06-07

蔚山広域市 蔚州郡 凡西邑 斗山路52

「野花学習園」は小・中・高の教材でよく見る植物や、蔚山地域に生息する野生花が植えられており、韓国の花の美しさと大切さを学生に伝える教育の場であると共に、市民の休息空間にもなっています。

植物:草花類、樹木類、作物類約800種