17.2Km 2024-07-31
テジョン広域市ユソン区エキスポロ107
+82-42-719-8043
世界科学文化フォーラムは、科学と社会とのコミュニケーション、科学と文化との融合を通して、科学技術に対する国民の支持基盤を強化し、韓国と未来社会に影響力のあるグローバル科学問題を議論する場となっています。
17.2Km 2019-02-19
大田広域市 儒城区 エキスポ路 161
休むことなく動き、忙しいこの場所!
大田(テジョン)を代表する放送局・大田MBC(文化放送)で見学プログラムを実施中です。テレビ番組やスタジオ、ラジオスタジオ、オープンスタジオを回り、生放送中のスタジオまで見学できます。またテレビの中でみた実際のスタジオでアナウンサー体験もでき、学生に人気が高いプログラムとなっています。
17.2Km 2020-07-11
大田広域市 儒城区 エキスポ路107
2000席のグランドボールルームと2600席規模の展示ホールを誇るDCC(大田コンベンションセンター)のある甲川一帯にEXPO科学公園や野外舞台・芝生、約1000席の近隣宿泊施設、食堂、ショッピングモール、樹木園、文化芸術館、市立美術館などが新しく整えられ、儒城地区の数千室の宿泊施設とともに「10分ワンストップコンベンション」が経験できる全国一便利なコンベンション地区となっています。
17.2Km 2020-03-27
忠清北道 清州市 興徳区 直指大路 713
+82-43-201-2022
興徳寺址(フンドクサジ)は、1985年に雲泉地区宅地開発事業の施行中に遺物が多数出土して発見されました。これにより開発工事は中止され、清州大学博物館によって発掘が行われました。寺院の創建年代や規模は不明ですが、現存する世界最古の金属活字本『仏祖直指心体要節(下巻)』の奥付に「1377年に清州興徳寺で金属活字で書物を印刷した」と明記されており、『仏祖直指心体要節』は1972年の「世界図書の年」に世界最高の金属活字本として公認されました。
17.2Km 2025-08-11
チュンチョンブク道チョンジュ市サンダン区サンダンロ59ボンギル59
清州(チョンジュ)城内道(ソンアンギル)は清州市の中心部にある繁華街で、ファッションの通りであると同時に、文化の街、歩行者天国でもあります。衣料品店や飲食店などが集まっている他、映画館やカフェ、雑貨屋、広場、中央公園、上党(サンダン)公園があります。ストリートフェスティバルや路上ライブでいつも賑わっており、フリーマーケットや清州文化遺産夜行などのプログラムが特に人気です。
17.2Km 2025-08-11
チュンチョンブク道チョンジュ市サンダン区ムシムドンロ392ボンギル18
清州(チョンジュ)西門市場(ソムンシジャン)は市場の活性化のため2012年に西門市場サムギョプサル通りを、 2015年には西門風物夜市を開設しました。清州は韓国各地の事柄についてまとめた地理書・世宗実録地理誌に豚肉を貢物として納めた地域として記録されています。サムギョプサル通りでは3月3日(サムギョプサルデー)に サムギョプサル祭りを開催するなど清州サムギョプサルをアピールしています。
清州西門市場は清州邑城西門の外に位置していることから名付けられました 。清州の人々は昔から嬉しい時や悲しい時、豚肉をともに分けあって食べるのが好きでした。「チランムル」と呼ばれる醤油ダレにつけて焼いたり、粗塩をふって焼いたり、臭みをなくし肉質を柔らかくするための秘法が伝授され、肉と一緒にパジョリ(細切りねぎの辛味和え)と熟成キムチを食べるのが清州サムギョプサル文化となりました。
17.3Km 2024-05-03
チュンチョンブク道チョンジュ市サンダン区ナムサロ129-1(ナンムンロ2ガ)
-
17.3Km 2020-05-14
大田広域市 大徳区 長洞
大徳鶏足山城は、大田市長洞にある鶏足山(海抜420メートル)の頂上に稜線に沿って築造された山頂式の山城です。この山城は百済の時代に築造されたものとされていましたが、1998年~1999年の発掘調査により新羅の時代に築造されたものと明らかになりました。
大田の市街地の東北側にそびえる鶏足山と、南側の食蔵山を結ぶ稜線に沿って大小約30の山城が分布しています。このように多くの山城がこの地域に存在している理由は、大田が新羅の首都を防御する要衝の地であり、戦略的にとても重要な場所であったからです。その中でも規模が大きく、戦略的重要性が如実に表れている山城が鶏足山城です。この山城の西側からは大田の市街地の様子を一望することができます。北側には前哨基地と見える梨峴洞山城と長洞山城があります。南側には山の稜線に沿って迭峴城が建っています。
鶏足山城は、面積51,984平方メートル、鶏足山の稜線に沿って1,037メートルとぐるりと長く築造されています。現在は、近隣住民たちの登山路として利用されるなど、市民たちの休息空間として愛されています。