石坡廊(석파랑) - エリア情報 - 韓国旅行情報

石坡廊(석파랑)

石坡廊(석파랑)

16.2Km    2024-03-05

ソウル特別市チョンノ区チャハムンロ309

石坡廊(ソクパラン)は大韓帝国高宗(コジョン)皇帝の父、興宣大院君(フンソンテウォングン)の別荘の一部だった別棟を移築したところで、朝鮮末期の様式で造られた美しい庭園と3棟の古風な韓屋が佇んでいます。ランチコースとディナーコースできれいに盛り付けられた宮中韓定食を堪能できます。厳選した材料を使って真心を込めて作られ、伝統粥、冷菜、特大海老の蒸し物、ポサム、テンジャンチゲ飯床、デザートなどが出てきます。全国の職人が造った伝統酒を一緒に飲むことができます。

innisfree(梨大店)(이니스프리(이대점))

innisfree(梨大店)(이니스프리(이대점))

16.2Km    2022-09-13

ソウル特別市ソデムン区シンチョンロ175

innisfree(イニスフリー)はINNIS(島)と FREE(自由)を象徴に、自然原料で製品を作り販売しています。生き生きとした肌にする4つの済州植物である緑茶、みかん、菜の花、百年草のエネルギーを火山岩盤水とともに濃縮させたものが、イニスフリーだけの特徴です。

清渓寺(京畿)(청계사(경기))

清渓寺(京畿)(청계사(경기))

16.2Km    2021-11-05

京畿道 義王市 清渓路475

白雲湖の近くに、仏教で伝説の花といわれる「優曇華(うどんげ)」で有名になった寺院があります。仏像に咲く珍しい花である優曇華が現れたのが、清渓山の「清渓寺(チョンゲサ)」です。統一新羅時代に創建され、高麗忠烈王10年(1284年)に建て直された清渓寺は、清渓寺事績記碑、極楽宝殿、鐘閣、三聖閣、地蔵殿、水閣、甘露池など、見どころに溢れています。朝鮮肅宗27年(1701年)に制作された清渓寺銅鐘は、朝鮮後期を代表する梵鐘として宝物に指定されており、彫刻された2匹の龍と蓮の茎、菩薩像4体や宝相華文などの精巧な文様を見ることができます。京畿道有形文化財に指定されている清渓寺の木版は現在、18部466点が残存しています。朝鮮時代光海君14年(1622年)に板刻された妙法蓮華経が213点でもっとも多いと言われています。それ以外にも仏教意識に関する文献や千字文「天地八陽神呪経板」も伝えられています。

重要文化財
1)清渓寺銅鐘(京畿道指定有形文化財)
2)清渓寺木版(京畿道指定有形文化財)

奉元寺(ソウル)(봉원사(서울))

奉元寺(ソウル)(봉원사(서울))

16.2Km    2023-02-07

ソウル特別市ソデムン区ポンウォンサギル120

889年に道詵国師が現在の延世大学の場所に創建し、当時は般若寺と呼ばれていました。1748年に賛汁、増岩の2人の僧侶により今の場所に移され、「奉元寺」に改名されました。奉元寺では世界平和と南北統一を祈願して霊山斎(国家無形文化財)が行われています。

Heynature梨大店(헤이네이처 이대점)

Heynature梨大店(헤이네이처 이대점)

16.2Km    2021-02-06

ソウル特別市 西大門区 梨花女大7キル 35

「Heynature」は自然由来原料を素に本来の健康で精気ある皮膚に戻ることを手助けする製品を研究、開発し生産しています。人工香料や人工色素を排除し、様々な肌タイプの人が安心して使えることを目標に研究所と工場が協力し、研究開発と厳しいテストを繰り返し商品開発をしています。

グラビティソウル板橋オートグラフコレクション(그래비티 서울 판교 오토그래프 컬렉션)

グラビティソウル板橋オートグラフコレクション(그래비티 서울 판교 오토그래프 컬렉션)

16.2Km    2022-06-03

京畿道 城南市 盆唐区 板橋駅路146番キル 2グラビティタワー
+82-31-539-4800

グローバルホテルブランドであるマリオットのオートグラフコレクションと100年の歴史を受け継いできた朝鮮ホテルの運営ノウハウを基に、活気に満ちた現代的な新しいホテル文化を提案します。IT企業が位置する板橋テクノバレーと地域住民の文化活動エリアの中心に位置するグラビティソウル板橋は、ビジネス、各種集まり、休息すべてに最適です。快適な眠りのための完璧な寝具、味覚を目覚めさせるレストランやBARの他、魅力的なソーシャルライジングイベントやプログラムが用意されています。また室内温水プールや最新式施設を備えたフィットネスセンターでは心と体に活力をチャージすることができます。新盆唐線板橋駅まで徒歩約5分、現代百貨店板橋店まで徒歩約3分、江南まで地下鉄で約20分の距離に位置し、アクセスも便利です。

[事後免税店] Runners Club(ランナーズクラブ)(러너스클럽)

[事後免税店] Runners Club(ランナーズクラブ)(러너스클럽)

16.2Km    2024-05-16

ソウル特別市ソチョ区シンバンポロ地下188

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[事後免税店] Runners Club(ランナーズクラブ)・イデ(梨大)(러너스클럽 이대)

[事後免税店] Runners Club(ランナーズクラブ)・イデ(梨大)(러너스클럽 이대)

16.2Km    2024-05-16

ソウル特別市マポ区シンチョンロ160、103号(スターヒルズビル)

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シニネリンメウントッポッキ 鷺粱津  ( 신이내린매운떡볶이 노량진 )

シニネリンメウントッポッキ 鷺粱津 ( 신이내린매운떡볶이 노량진 )

16.2Km    2021-04-06

ソウル特別市 銅雀区 マンヤンロ14ガギル3
+82-2-2631-8484

様々なトッピングのトッポッキを提供しています。おすすめはトッポッキです。ソウル特別市のドンジャク区に位置した韓食専門店です。

水鐘寺(수종사)

水鐘寺(수종사)

16.2Km    2024-09-04

キョンギ道ナミャンジュ市チョアン面プクハンガンロ433ボンギル186
+82-31-576-8411

雲吉山の素晴らしい風景を感じされるところ、水鐘寺
水鐘寺(スジョンサ)は京畿道(キョンギド)南楊州市(ナミャンジュシ)鳥安面(チョアンミョン)松村里(ソンチョルリ)の雲吉山(ウンギルサン)山頂近くにある奉先寺(ポンソンサ)の末寺です。
広州山脈(クァンジュサンメク)が南西に走り、縁起のよい気運が漂う雲吉山は雄壮さはないものの奥深さがある名山です。
特に水鐘寺から眺める風景は素晴らしく、さまざまな山の頂が聳え、漢江(ハンガン)本流へと流れていくすこし手前の北漢江(プッカンガン)の水の流れがまた素晴らしい風景となっているところです。
水鐘寺の創建の年代は定かではありませんが、19世紀末に各地方の寺院の沿革などをまとめ記録した書・梵宇攷 (ポンウゴ)によると、世祖がこの寺を行幸した際、地面を掘り泉を探しあて、そして鐘も発見したということから水鐘寺という名称になったという言い伝えがあります(後述の通り、寺の命名には諸説あります)。
また、1939年、寺にある石造浮屠を重修する際、1439(世宗21)年に建立された浮屠と確認されたことから、水鐘寺は朝鮮時代初期に創建されたものと推定されています。

水鐘寺は長い歳月を経て重創を繰り返しましたが、時の経過とともに本堂に当たる大雄殿や僧侶が住む寮舎(ヨサ)チェが朽ち果て、仏像もまた惨憺なものとなってしまいました。
1890(高宗27)年になり、楓溪慧一(プンゲヘイル)和尚が朝鮮王朝第26代の王・高宗(コジョン)より内幣金8000両を賜り3月27日より重創を開始、6月28日に修復を終えました。
翌年3月にはさらに4000両を下賜され、仏像4尊と幀画3軸を新たに奉安し、大法殿・羅漢殿・御香閣、そして山王閣に韓国伝統の木造建築にさまざまな彩色・模様をつける丹青(タンチョン)を施しました。
1939年には住持(住職)であった日照泰旭が大雄殿・禅楼を、1940年には霊山殿・独聖閣・山神閣・御影閣などを重建しましたが、韓国戦争(1950~53年・休戦)の時にすべて焼失してしまいました。
1975年には僧侶・慧光によって大雄宝殿を復元し、寺の規模を拡大、1999年住持の東山が選仏場や三鼎軒を重創し、今日に至っています。
1972年には八角五層石塔が、1995年には浮屠がそれぞれ京畿道有形文化財に指定され保存されています。


水鐘寺の伝説
水鐘寺にはこんな伝説がいまに伝えられています。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を遊覧し帰る道すがら、龍船に乗って両水湾(現在の漢江にある両水里(ヤンスリ))で一晩を過ごしていると、真夜中に忽然とどこからか、かすかな鐘の音が聞こえてきました。
次の日、人を遣わしその音がどこから聞こえてきたのか探って見ると、そこには岩窟があり、中には十八羅漢像がありました。
鐘の音は岩窟に水滴が落ちて響く音で、清らかで澄んだ音だったといいます。
世祖は何かふしぎな因縁を感じ、その場所に土台を築き、建築を匠らを呼び寺を創建しました。そして田畑を下賜し僧侶を住まわせ、この寺を水鐘寺と命名したといいます。


朝鮮時代初期の石塔の貴重な資料、水鐘寺五層石塔
1459(世祖5)年に建立された朝鮮時代初期の代表的な石塔です。
五層石塔ですが、あまり高くなく優雅でこぢんまりとしていながらも華麗な塔身の姿が全体的に気品がある石塔です。
石塔の八角址台石の各面には眼象(象の目)が写実的に刻まれており、基壇部の各面には単辦、覆仰蓮、そして眼象が華麗な姿で彫刻されています。
五層石塔の塔身は上層へ行くにつれ少しずつ小さくなっていき、塔身の先端を保護する屋蓋石の落水面が著しく垂れ下がっており、殿閣と対称をなしています。
屋蓋石の下の面は平らになっており、水平となっていることで石塔の中心の柱となっている屋身がこれを支えています。屋蓋石の支えは3段に分かれており、屋蓋石の角のそれぞれ端には鐃鈴(ヨリョン)がぶら下がっていました。これは朝鮮時代初期、京畿道一帯で流行した形式の石塔として貴重な研究資料となっています。

水鐘寺は雲吉山の中でも最も眺めがよい場所にあり、寺からは両水大橋(ヤンステギョ)をはじめ両水里や北漢江一帯がよく見えます。
水鐘寺をめぐる逸話にはこのような話があります。
朝鮮時代の王・世祖が金剛山を訪ね、その帰途、船で戻る道中で二水頭(イスドゥ=現在の両水里)で泊まることになりました。夜景を楽しんでいると、突然鐘の音が聞こえました。不思議に思った世祖は、次の日、村人を呼び、鐘の音はどこから聞こえるのかと尋ねると村人は「近所に鐘はなく、鐘の音が鳴るところといえば雲吉山の中の古い寺の跡が一箇所あるだけ」と答えました。
世祖はすぐに調べるよう命を発し、探してみると寺跡の岩窟の中に十八羅漢像が列座し、岩の隙間から水滴が垂れ、鐘の音のような音がしていることを突き止めました。これに感動した世祖は寺を建立し、その寺に水鐘寺と名付けたといいます。
また、その発見した羅漢像を奉安するために山の中腹に建立した塔が水鐘寺五層石塔と伝えられています。

しかし、その後およそ400年の間に水鐘寺は次第に衰退し、創建当時の面影はなくなってしまいます。
ようやく朝鮮時代末期になり復興の気運が高まり、1890(高宗27)年、王より楓溪慧一和尚に対して重建するよう命が下り、下賜金8000両が与えられ、翌年さらに4000両がさらに下賜され、同時に金帛紅絲を仏前に供えることとなりました。
1962年に現在の場所に移転した際、各塔身から仏像、菩薩像など18点の遺物が発見され、現在、国立中央博物館に所蔵されています。