13.9Km 2024-03-18
ソウル特別市 鐘路区 北村路134-3
三清(サムチョン)公園は景福宮(キョンボックン)の近くにある公園で、春は桜が咲き誇り、秋は紅葉が見事です。公園内には森の図書館やカフェがあり、遊歩道に沿って指圧路や運動器具、バドミントン場、テニス場、子供の遊び場や売店があります。公園の周辺にはギャラリーやレストランがたくさんあり、市民のお散歩コースとして愛されています。
13.9Km 2021-09-01
ソウル特別市 鐘路区 仁寺洞キル 30-7
+82-2-730-3624
有名作家の絵が鑑賞できる、ギャラリースタイルのレストランです。 おすすめは豚の肩肉ステーキです。ソウル特別市のに位置した洋食専門店です。
13.9Km 2021-04-07
ソウル特別市 鐘路区 仁寺洞キル30
「朴英淑窯(パクヨンスクヨ)」は、現代陶芸家パク・ヨンスクのギャラリーで、朝鮮時代を代表する白磁磁器や粉青磁器、現代的なデザインの陶磁器を常設展示・販売しています。
売り場というよりギャラリーのような雰囲気のお店で、韓国を代表する白磁の壷をはじめとした作品や食器などを展示・販売しており、1999年にはイギリスのエリザベス女王も訪れたことがあります。また、「朴英淑ギャラリー」は、アメリカ・ニュージャージーにも出店しています。
13.9Km 2021-03-31
ソウル特別市 中区 退渓路20キル 21
+82-2-3789-9721
地元の人もよく訪れる明洞の隠れた名店です。おすすめはサムギョプサルです。ソウル特別市のジュン区に位置した韓食専門店です。
13.9Km 2021-09-01
ソウル特別市 鐘路区 仁寺洞キル 28-1
+82-2-738-4525
ソウル特別市のインサ洞に位置した伝統飲み物専門店です。自家製伝統茶をお出しするお店です。おすすめは梅茶です。
13.9Km 2024-03-18
ソウル特別市チョンノ区インサドン8ギル12-3
チェデガムネは、仁寺(インサ)洞にある築100年以上の韓屋で、庭園と池がある韓国料理店です。人気メニューのサンチュしゃぶしゃぶ定食は、野菜と肉を出し汁に入れて煮込んだ後、麺を入れて食べるもので、サンチュの上に載せられた小さなおにぎりが、毎日産地直送の肉を仕入れて作る牛カルビの蒸し物定食、プルコギ定食には、蓮の葉ご飯とテンジャンチゲが付きます。食後は庭でお茶を楽しむことができます。
13.9Km 2024-12-27
ソウル特別市チュン区ミョンドンギル73
BEAUTY PLAY(ビューティープレイ)は大韓化粧品産業研究院が運営するオープン型ビューティー体験スペースです。優れた韓国化粧品の展示をしており、サンプルを試してみるなどさまざまなビューティー体験が可能で、K-ビューティーに関心のある外国人なら興味深い時間を過ごせる空間となっています。BEAUTY PLAYではメイクアップ・タッチアップサービス(ベース、アイ、リップの中から一つを選択)、パーソナルカラー診断、肌診断などの体験ができます。お肌の悩みがある場合は診断を受け、化粧品をおすすめしてもらうことも可能です。ビューティーセミナー、ワンデークラスはホームページで申し込みを受け付けている他、外国人は事前に予約すればフルメイクサービスを受けることもできます。すべての体験は無料です。
BEAUTY PLAYはソウルに2店舗(明洞店、弘大店)あり、ビューティー体験は日曜日を除いて午前10時から18時までに訪問すれば体験が可能です。明洞店は明洞聖堂の向かい側の建物3階に位置し、近くに人気観光地である明洞通り、崇礼門、清渓川など見どころが豊富です。
14.0Km 2021-04-07
ソウル特別市 鐘路区 仁寺洞キル 7-1
勝洞(スンドン)教会は民主主義的色彩が濃い教会として出発しました。勝洞教会は京畿道(キョンギド)内の長老教会の母教会的役割も果たしていました。
勝洞教会が設立に至るまでには、まずヘロン(John W. Heron)が1894年に銅峴(トンヒョン)に設立した弘文洞教会(ホンムンドンキョフェ)までさかのぼります。弘文洞教会の信者の中には韓国の自主独立と内政改革を標榜した独立協会系の人物がおり、その人物らにより宣教師を殴打し追い出そうという計画を立てました。この一件で信者は分派、それぞれ別の教会を設立するに至りました。独立協会系の信者は1904年勝洞教会を設立、その他の信者は南大門教会へと発展しました。南大門教会はその後アメリカ合衆国長老教会病院であるセブランス病院を設立することになります。
1919年2月20日、勝洞教会の地下では当時の京城(現・ソウル)の各専門学校の代表者20人あまりが集まり、3・1運動の指針や計画を論議されました。
また勝洞教会に大韓女子基督教青年連合会(YWCA)が設立、女性の社会活動や奉仕活動の一翼を担う契機となりました。このように勝洞教会は日帝強占期の民族運動や社会活動に大きな役割を果たしました。
勝洞教会の建物は地上2階・地下1階建て、およそ660平方メートルの規模を誇ります。設計者や施工は未詳となっています。
現在は周辺の建物に隠れ、本来の威風堂々たる姿は見られませんが、建築当時には周辺の建物に比べ高くそびえる堂々たる建物でした。屋根の形態は十字型の切妻屋根で、正面の切妻は大きく、側面の切妻は2段となっており、現在は内部の祭壇を広げ、後面に2段の切妻となっています。正面中央部には大型アーチ窓(現在は現代的な四角窓に改造)を、その左右には小型アーチ開口部(現在は現代的な出入口に改造)を設け、切妻には円形窓を設けています。勝洞は仁寺洞(インサドン)に編入されましたが、設立当時の名称をそのまま使っています。
年代 : 1904年、1957年増改築
規模・様式:地上2階・地下1階建て、面積773.56平方メートル、ロマネスク風