19.6Km 2025-03-05
インチョン広域市チュン区シンドシナムロ142ボンギル6
仁川の永宗島にある「ハワードジョンソン仁川エアポート(Howard Johnson Incheon Airport)」の客室は洋室で、ウッドインテリア、1人用のソファー、高級リネン寝具が安らかな感じを加え、広々とした机と椅子も備えています。その他レストラン、カフェ&バー、ビリヤード場、プール、キッズゾーン、ビジネスセンターなどがあり、コンシェルジュサービスも提供します。仁川国際空港のシャトルバスを運行し、徒歩約5分の距離に便宜施設がたくさんあります。車で約25分の距離に乙旺里海水浴場、永宗シーサイドパークがあります。
19.6Km 2025-09-02
インチョン広域市チュン区シンドシナムロ150ボンギル18
+82-32-746-4417
ホテルジューンは6月を意味する名前のホテルで、国際的感覚豊かなスタッフで構成され、仁川国際空港から約8分という好立地にあります。無料シャトルバス運行、超高速インターネット設置の他、無料長期駐車サービスも提供しています。
19.7Km 2024-04-26
キョンギ道プチョン市ソサロ663 ホームプラスプチョン・ヨウォル店1階
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19.7Km 2020-08-03
仁川広域市 甕津郡 霊興面
「仙才島(ソンジェド)」には新石器時代からある程度、人が定着して生活していたと推測されています。高麗時代から朝鮮後期までは小牛島と呼ばれていましたが、1871年前後に名称が仙才島に変わりました。景観が非常に美しく仙女が降りてきて舞を舞った所ということから仙才島と呼ばれるようになたということです。
仙才は牧場地で朝鮮初期から南陽都護府に隷属、大阜島に鎮(軍事的地方行政区域)が設置されたことで大阜鎮に属し、大阜鎮が廃止されると再び南陽都護府と南陽郡に編入されるなど幾多の変遷を経て、1914年に霊興島とともに富川郡に編入されました。その後1973年には甕津郡に属していましたが、1995年に仁川広域市に統合されました。
大阜島と霊興島を繋ぐ架け橋的な島となっており、干潮時には島の周囲で牡蠣やアサリがたくさん採れ、住民の主な収入源となっている他、仙才島から測島とモク島まで海割れ現象が現われることで知られています。
19.7Km 2024-04-28
インチョン広域市チュン区ヒンバウィロ45(ウンソ洞、カナベストテル2) 117号
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19.8Km 2024-09-25
仁川広域市 西区 陶窯址路 54
+82-32-440-4063
1970年5月に史跡に指定され、地元初の国家指定文化財となった仁川・景西洞緑青瓷窯址(インチョン・キョンソドン・ノクチョンジャヨジ)。
1984年12月9日、この場所に遺跡を保護するための広さ82.6平方メートルの保護幕舎が設置しました。ここで発掘された器種は平鉢、大皿などが主で、たらいのような形をした陶磁器・チャベギ、盤口長頸瓶、甕などが出土しました。釉薬の色は緑褐色や暗緑色で不透明で光沢がなく、表面に斑点のようなものがあるものの、これは釉薬の成分、窯の特殊構造、焼成温度などが影響したものとみられます。
斜面を利用した窯は傾斜度22度ほどの単室窯となっています。この窯址で注目すべき点は、緩やかに傾斜した窯床に、土で作った円形のトジミ(ケットク)と呼ばれる焼台を配置しているのが特徴です。
このトジミは、窯に詰めて焼く際、これから焼こうとする陶磁を置く焼台で、器ひとつひとつをその上に置き、器の底が窯床に直接触れないようにするために設けられたものです。
この焼台の形はあたかも馬のひづめのようなの形をしており、前の部分は分厚く、後ろの部分は薄く低めに作られています。
登り窯のように傾斜した窯の床の上に焼台の分厚い部分を窯の傾斜の下の方に向けて置くと、器が窯の中で傾かず水平を維持することができます。つまり、窯床自体は傾斜がありますが、焼台を置くことにより窯の中に置かれた器が水平を保つように調節できるようになっています。そのため窯の下の方へ行けば行くほど焼台の高さが高くなり、その上に置かれた器が傾かないよう焼台の高さを調整しています。
このような構造の陶窯址は以前には日本でのみ2か所発見されていたにすぎなかったことから日本独自のものと思われていましたが、仁川・景西洞緑青甕窯址が発見されたことにより、今後の研究如何によっては陶窯技術の日本への伝達経緯を明らかにする貴重な史料となることが期待されています。