知礼芸術村(지례예술촌) - エリア情報 - 韓国旅行情報

知礼芸術村(지례예술촌)

知礼芸術村(지례예술촌)

14.4 Km    22370     2020-04-02

慶尚北道 安東市 臨東面 知礼芸術村キル427
+82-54-852-1913

安東臨河ダムが建設されたことによりできた「知礼(チレ)芸術村」は、芸術創作村として知られています。
安東市臨東面知礼里が臨河ダム建設により水没する境遇に置かれたため、知礼芸術村の現・村長であるキム・ウォンギル氏が水没対象地域にあった義城金氏芝村派宗宅と書堂、祭庁など、約10棟の古宅を裏山の中腹に移し、芸術家の創作活動、外国人の韓国伝統文化体験、一般人の伝統生活体験ができる場所として運営しているのが「知礼芸術村」です。1990年には文化部から芸術創作村に指定されました。
知礼芸術村では生活文化体験、儀礼文化体験、自然体験、学習文化体験、芸術文化体験、 精神文化体験など多様な古宅体験を楽しめます。生活文化体験では韓服を試着したり、韓食を味わったり、韓屋で宿泊することができ、儀礼文化体験ではソルラル・秋夕といった年中行事体験や祭礼体験、歳時風俗体験、礼節教育など、自然体験では水遊び、魚とり、昆虫採集、植物採集、夜空観測、野生動物観測などをすることができます。

黙溪書院と安東金氏黙溪宗宅(묵계서원 및 안동김씨 묵계종택)

黙溪書院と安東金氏黙溪宗宅(묵계서원 및 안동김씨 묵계종택)

15.5 Km    20714     2024-04-30

キョンサンブク道アンドン市キラン面チュンヒョロ1736-5

黙溪(モッキェ)書院は凝渓・玉沽(オク・コ)先生と宝白堂・金係行(キム·ギェヘン)先生を奉享する書院で1687年に創建されました。1869年の書院撤廃令で祠堂はなくなり講堂だけが残っていましたが、最近、失われた建物を新しく建てて書院を復元しました。黙溪宗宅は書院から遠くない村の中央に位置しています。

晩休亭(만휴정)

晩休亭(만휴정)

16.1 Km    19161     2020-10-20

慶尚北道 安東市 吉安面 黙渓下里キル 42
+82-54-852-6800

晩休亭(マニュジョン)は朝鮮時代の文臣・宝白堂(ポベクタン)金係行(キム・ゲヘン)公の亭子(東屋)で、1500(燕山君6)年に建立されました。
現在の建物は、重修されたことから建立当初の姿からは変わってしまっていますが、朝鮮時代後期の様式を彷彿とさせる造りとなっています。
金係行は朝鮮時代初期の文臣としてさまざまな官職を歴任した人物でした。しかし、朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=在位1494~1506年)の暴政に嫌気が差し、官職を捨て故郷へ戻りました。故郷に帰ると、ソルモッの池(現在の慶尚北道安東市豊山面素山2里にある素山池=ソサンジ)の畔に小さな亭子を一度建てましたが、真横に道があったことから、より静かな場所を求め、この亭子を現在の場所に建て直したといいます。
安東市吉安面(キランミョン)にある黙渓書院(モッケソウォン)の川向こうの山あいで、滝のある雄壮な渓谷の谷澗水が盤石の上を流れる絶景の場所に、この晩休亭が南東向きに建てられています。


* 朝鮮時代の品位が感じられる晩休亭の構造 *

晩休亭の構造を見てみると、 軒先の垂木が一段のみとなっている入母屋屋根となっており、屋根左右の軒先の曲線が鋭く反り返り、亭子の趣をより一層感じられる構造となっています。
晩休亭の建物の大きさは正面3間、側面2間となっています。 正面は柱と柱の間の3間すべて開放することができ、建物正面の風景を楽しめる高殿の板の間がある亭子となっています。
また楼閣の周囲の三方は縁側となっており鷄子閣欄干という欄干を配しています。建物の後は板の間となっており、周囲の縁側を経て正面の板の間とつながる構造となっています。
また後壁にある戸の下の部分には穹板(クンパン)という板がやや高めにはめられているのもこの建物の特徴です。 亭子の左右にある部屋はオンドル部屋となっています。部屋の正面部分の戸は一般的な両開きの戸が取り付けられていますが、部屋の後ろ側の戸は格子模様で三分割の上開きの戸が取り付けてあります。
建物正面をすべて開放できるようにし周囲を縁側にする亭子の構造は稀で、他には同じ安東・吉安面にある薬渓亭(ヤッケジョン)が似た構造となっている程度です。
柱には蓮の蕾の装飾を施した二翼工様式の牛の舌のような形をした飾り板が突出し、この様式から朝鮮時代後期に取り付けられたものと思われます。朝鮮時代末期の派手な様式とは異なり品格のある作りとなっています。
柱貫の上部には蓮の花を施した華盤を設け、趣向を凝らした造りとなっています。 屋根の部分は5本の桁を渡して作った五梁家(オリャンガ)造りとなっており、大梁の上に束柱を立て、棟と梁を乗せ、その上に梯形(台形)の束板を取り付けています。


[文化財情報]
分類:楼(亭)閣
指定:慶尚北道文化財資料第173号
指定日:1986年12月11日
時代:朝鮮時代

天地食堂 ( 천지식당 )

天地食堂 ( 천지식당 )

17.0 Km    43     2021-04-02

慶尚北道 安東市 ウッジャントキル 90
+82-54-822-7008

新鮮な川魚で作ったメウンタン(魚の辛味スープ)が味わえます。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。代表的なメニューは淡水魚の辛味スープです。

青松オルムゴル(青松国家地質公園)(청송 얼음골(청송 국가지질공원))

青松オルムゴル(青松国家地質公園)(청송 얼음골(청송 국가지질공원))

18.2 Km    18161     2024-02-28

キョンサンブク道チョンソン郡チュワンサン面ネリョン里1

冬には暖かな風が吹き出し、夏には冷気が吹き出してくる季節に逆行するかのような摩訶不思議な現象が起こるオルムゴル(氷谷)。韓国のオルムゴルは慶尚南道(キョンサンナムド)密陽(ミリャン)、慶尚北道(キョンサンプクド)義城(ウィソン)などおよそ20の地域にありますが、慶尚北道青松(チョンソン)にある青松オルムゴルは凝灰岩の岩が絶壁の下に堆積した場所にあります。このような絶壁の直下や山の斜面に岩石が堆積した地形を崖錐といいます。比較的厚く堆積している大小さまざまな岩の隙間へ入り込んだ空気は、地下の温度が低く湿気が高い環境の影響を受け、穴の下の方へと下っていきます。崖錐地形の地面の下へと入った空気は冷たく湿気の多い空気となり、その後再び岩の隙間を通り外へと抜けます。暖かく乾燥した外気とぶつかると、崖錐地形から外へ吹き出した冷たい空気の中に含まれる湿気が気化することにより、周りの外気の温度を下げ、オルムゴル、つまり氷穴現象が起こり冷たさを感じるようになります。また、オルムゴルの傾斜面が北向きとなっているため、陽差しがあまり差し込まないこともオルムゴルが形づくられる重要な要素のひとつとなっています。
一方、青松オルムゴルには素晴らしい水質の、健康にもよいと評判の湧き水が湧き出る場所もあるほか、宕巾峰(タンコンボン)の人工滝もあり、夏のシーズンの避暑地としても人気の場所となっています。

出典:青松国家地質公園

英陽唐辛子広報展示館(영양고추홍보전시관)

英陽唐辛子広報展示館(영양고추홍보전시관)

18.7 Km    28025     2019-03-20

慶尚北道 英陽郡 立岩面 英陽路 883-6
+82-54-682-6271

英陽唐辛子広報展示館は英陽の唐辛子の価値と競争力を高め、唐辛子産業に対する国民的な関心と理解を深めるために建てられました。地上2階建て規模で主要施設はテーマ館、広報館、映像館、農水産直営販売所などがあります。テーマ館には唐辛子と唐辛子の栽培の変遷過程が展示してあり、広報館には英陽の唐辛子の優秀性と栽培技術などに関する内容が展示されています。農水産物直営販売所には唐辛子だけではなく英陽郡で生産されている各種農産物が販売されています。展示館周辺の野外空間には大理石を活用した彫刻作品と唐辛子の栽培過程を伝える造成物も設置されています。

安東 水涯堂[韓国観光品質認証](안동 수애당[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

安東 水涯堂[韓国観光品質認証](안동 수애당[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

19.3 Km    71381     2023-10-23

キョンサンブクト アンドンシ スゴクヨンギェロ 1714-11
+82-54-822-6661

「スエ堂」は、独立運動家のスエ·ユ·ジンゴル先生が1939年に建てた家であり、慶尚北道の文化財の資料であります。入母屋の正寢とギヨクの文字型の古房棟が向かい合っており、その間には中庭があり、門は5間の規模のソスルデムンがあります。臨河ダムの建設で、水没地区に入ることになって、1987年には現位置に移転し、部屋と板の間は、黄土と天然塗料で仕上げ、スエ堂からみられる湖の全景がとても美しい。