222.4M 2021-12-15
大邱広域市 中区 中央大路77キル 50-5
大邱薬令市で3代、90年以上にわたって韓薬一筋で祖父の時代から受け継いで使っている秤、鉢、医学書の模本、処方箋などを展示しており、韓薬の歴史、家系の由来、韓方に対する精神などを知ることができます。また、訪問客に中央韓薬房(韓方薬局)で直接製造した健康に良い韓方薬茶を提供しています。その他、健康相談を受けることができます。
オープン日
2011年4月25日
245.2M 2023-01-06
大邱広域市 中区 西城路6-1
+82-53-256-3762
大邱桂山洞2街84番地に位置する古宅は、抗日文学家として有名な詩人・李相和(イ・サンファ)が1939年から1943年まで暮らした家です。日帝強占期に民族独立のための抵抗精神を表現した詩人・李相和の思いが残っている場所です。
李相和古宅は、1999年から古宅を保存しようとする市民運動が始まり、軍人共済会が近隣に住商複合アパートを建築しながら古宅を購入し、2005年10月27日に大邱市に古宅を寄付しました。
大邱市は、敷地面積205平方メートル、建築面積64.5平方メートル(1階建て木造建築2棟)の古宅を補修し、古宅保存市民運動本部が募金で集めた財源をもとに古宅内に展示物を設置しました。
李相和古宅は、暗い時代を生きながら日帝に抵抗した民族詩人・李相和の精神を称え、子孫にその精神と文学的功績を継承する教育の場としても活用されています。
254.6M 2020-12-24
大邱広域市 中区 西城路6-1
「近代文化体験館 桂山芸家(ケサンイェガ)」は、都心観光の中心地である李相和古家や徐相敦古宅といった、都心の近代歴史文化施設や歴史について視聴覚資料により知ることのできる映像館(映像室・展示館)、韓屋展示室および便益施設を設け、中区の都心路地ツアー訪問者らに情報と休息の場を提供しています。
257.4M 2021-07-01
大邱広域市 中区 西城路 6-1
+82-53-256-3762
徐相敦(ソ・サンドン)は、朝鮮時代末期の企業家・官僚であり民族独立運動家でもあった人物です。大邱(テグ)で紙の行商や反物商として成功し、政府の検税官となり租税穀の管理なども行いました。
1907年、政府が日本から多額の負債を抱え、国権を失うと考えた徐相敦は、大邱広文社の社長である金光済(キム・グァンジェ)とともに国債報償運動を繰り広げました。
大邱市は、桂山洞の李相和(イ・サンファ)古宅の横にあった徐相敦の生家を復元し、国債報償運動記念公園を造成し、銅像を建てるなど徐相敦の崇高な志を称えています。
257.5M 2024-05-20
テグ広域市チュン区チュンアンデロ77ギル22
過去と現在が調和する特別な売り場であるSTARBUCKS COFFEE(スターバックス)大邱鐘路(テグ・チョンノ)古宅店は1919年に建てられた韓屋の美しい建築様式を保全しつつも現代的にリノベーションされています。二軒の韓屋と庭園で構成されており、トイレは離れとして設けられています。四季の移り変わりや過去と現在の歴史を感じることができるだけでなく韓国の近代音楽鑑賞室の発祥地であり文化芸術都市である大邱にインスピレーションを受け、バング&オルフセンとコラボして高品質の音楽を鑑賞することができる空間となっています。大邱近代路地ツアー2コースであるチン路地(チンゴルモク)の真ん中に位置しており、観光客が多く訪れる大邱の観光名所でありランドマークとして歴史的意味を間接的に伝える役割を果たす特別な店舗です。
269.1M 2023-02-02
テグ広域市チュン区チョンノ34
大邱(テグ)華僑協会は1929年に建てられた赤レンガの2階建て西洋館です。当時、大邱地域の富豪ソ・ビョングクが中国人建築家の慕文錦に設計と施工を依頼して建てたものです。長方形の平面構造で玄関は花崗岩を用いて突出させ、全体的に左右対称の美が引き立ちます。レンガは平壌(ピョンヤン)で焼いたもので、木材は金剛山のものだという説があります。HID(防諜隊)の建物として利用されたこともあります。建物1棟と遊び場、蒋介石の像があり、入り口の壁には中国の人物が描かれています。美観を誇る大邱地域の代表的な近代建築物で現在は大邱華僑協会事務所として利用されています。数少ない1930年代の近代建造物の様式を如実に表し、2006年6月19日に国家登録文化財に指定されました。大邱近代路地ツアー第2コースの最終地点となっています。
294.6M 2024-07-08
テグ広域市チュン区ソソンロ10
大邱桂山洞聖堂は1886年、大邱地域での宣教活動を任されて赴任したロバート(Robert,A.P. 1853~1922)神父が今の桂山洞聖堂の敷地を買い取って建設が始まりました。1899年に韓国式木造で十字型の建物として建てられましたが1年あまりで焼失してしまいました。その後、再建築に着手してロバート神父が設計し、国内では探すのが難しいトタンやステンドグラスなどの材料はフランス及び香港から持ち込み使用しました。建物は工事が始まって3年が過ぎた1902年に完成しました。この建物は大邱地域では唯一残っている1900年代初期の建築物です。聖堂の平面はラテン十字型 (Latin cross)で中心の身廊(nave)と両側の翼廊(transept)から構成されています。この平面の構造は聖堂の平面、建物の外部と内部空間からはっきりと見ることができます。また、建物は全体的に鈍重なロマネスク様式を帯びていますが、尖塔とステンドグラス等のゴシック的要素が部分的に表現されています。
大邱桂山洞聖堂は嶺南地方に天主教(カトリック)を土着化するのに中枢的な役割をし、1911年朝鮮教区から分離、大邱大教区主教座本堂になり、初代主任神父にはロバートが任命されました。聖堂の敷地には設計者を記念する銅像と主教館があります。この聖堂の建物から東に約600メートル地点にある観徳亭殉教記念館には乙亥(1815年)・丁亥(1827年)・丙寅(1866年)迫害のとき仲間たちの隠れ家だったハンティコゲ・シンナムゴルなど交友村で捕まって処刑された殉教者らの遺物30点余りなど65点の遺物が展示されています。
315.0M 2024-04-26
テグ広域市チュン区トンソンロ10、1・2階(トンソンロ3ガ)
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333.4M 2024-10-18
テグ広域市 中区 中央大路 397
f(x) クリスタルが訪ねた大邱の代表的なパン屋
1957年にオープンし、f(x)のクリスタルがここでパンをおいしく食べる姿でより有名になり、大邱代表のパン屋と呼ばれる。トンオクススパン、イカ墨トンオクススパン、野菜コロッケ、そぼろアンパン、クリームチーズもちパンがベストメニュー。高い層高とシャンデリアが印象的であり、2階に上ると広い空間にシンプルにテーブルがおかれたミニマルなカフェみたいな雰囲気が感じられる。