6.6Km 2023-10-27
テグ広域市プク区ホアムロ15
オペラ専用劇場「大邱オペラハウス」は、地下2階、地上4階建ての流麗な曲線のグランドピアノをイメージし建てられた建物で、外観は内部がよく見えるガラス素材でできており、建物の美しさをより一層引き立て、建物自体が一つの作品として表現されています。
オペラ公演がより映えるように建てられた大邱オペラハウスは、馬の蹄型(Horseshoe-Shaped)の客席約1,500席が調和を作り出し、快適な舞台施設を備えています。難しくなく興味をそそりながらも観覧料がリーズナブルなオペラ企画公演や、外国人観光客のための特別公演など、市民がオペラをより身近に感じられるような機会を提供しています。
また、大邱オペラハウスでは「大邱国際オペラ祭り」をはじめとした音楽会、ミュージカル、バレエなど多様なジャンルの公演が続き、大邱の公演文化の中心を担っています。
6.8Km 2024-12-13
テグ広域市スソン区タルグボルデロ527ギル13-5
+82-53-666-4930
モミョンジェ(慕明斎)は壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592年)当時、明から援軍として参戦し、そのまま朝鮮に帰化した杜師忠という人物を称えるために杜陵杜氏一族が建てた「斎室」です。慕明斎とは「明を慕う」という意味です。
杜師忠は中国の杜陵出身で、壬辰倭乱が起きると明の提督だった李如松の麾下の将軍として朝鮮に派遣されました。彼は地勢を見極めて陣営を構えやすい場所を選ぶ「水陸地劃主事」という任務を任され、李如松の一級参謀として朝鮮軍とも戦略・戦術上の緊密な協議を行いました。
壬辰倭乱が終わり、彼は一端故郷に戻ったものの、丁酉再乱(慶長の役、1597年)が勃発すると、息子の杜山と杜逸建を連れて姉の夫である陳璘都督とともに再び戦場へ向かいました。戦乱が納まった後、彼は2人の息子と一緒に朝鮮に帰化し、朝廷からテグ(大邱)市内の中央公園(現在の慶尚監営公園)一帯の土地を賜ることになりました。
その後、彼が賜った土地に慶尚監営が移してくることになり、彼はその土地を国に戻してケサン(渓山)洞に移り住むことにしました。
彼は故国に置いてきた婦人と兄弟への懐かしさから最頂山(現在の大徳山)の下に家を移し、その町をテミョン(大明)洞と名付けました。そして祭壇を設け毎月1日には皇帝の居城である紫禁城に向かって拝礼をしたと伝えられています。
モミョンジェは四角い敷地の上に南向きに建てられており、正面4間・側面2間の二軒入母屋造りで建てられました。また、板の間を中心に左右にはオンドル部屋を、前面には0.5間の張り出し部屋を設けており、20世紀初頭のテグ地域の斎室建築様式がよく分かる構造となっています。
モミョンジェは1912年、慶山客舎が取り壊されたことをきっかけに、杜師忠の子孫たちがその材木を利用して彼の墓の前に建てたもので、建物の老朽化によって1966年に改修が行われました。
テグに訪れる中国人観光客が真っ先に足を運ぶ場所で、最近再整備事業によって新しく生まれ変わりました。その隣には韓国伝統文化体験館をオープンし、茶礼・韓服体験や弓道、東医宝鑑料理体験なども行っており、これらは伝統館で体験することができます。
6.9Km 2024-06-27
テグ広域市トン区トンデグロ地下530 トンデグ駅1号線 地下商店街3、4号
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