咸陽チアン峠(함양 지안재) - エリア情報 - 韓国旅行情報

咸陽チアン峠(함양 지안재)

0m    0     2024-02-08

キョンサンナム道ハミャン郡ハミャン邑クリョン里サン119-3

咸陽(ハミャン)チアン峠は、咸陽の名所で、曲がりくねった道が美しい風景を織りなします。韓国の美しい道100選にも選ばれるなど、魅力的で素晴らしい道です。ですが、険しいチアン峙をドライブするよりも、展望台に立ってしばらく鑑賞する方が、はるかに絶景を堪能することができます。チアン峙の端に展望台があり、素晴らしいフォトスポットになっています。

智異山へ行く道(지리산 가는길)

智異山へ行く道(지리산 가는길)

0m    0     2024-02-08

キョンサンナム道ハミャン郡ヒュチョン面チリサンガヌンギル

智異山(チリサン)へ行く道は、咸陽(ハミャン)邑から智異山第一門付近までの約12キロメートルの道を指します。チアン峠と悟道峠(オドジェ)を経て馬川(マチョン)へ向かうと、智異山第一門と智異山眺望公園があります。ここからは、智異山の全稜線を眺望することができ、法華山(ポプァサン)と三峰山(サンボンサン)の登山コースも伸びています。ツーリングスポットとしても広く知られ、多くのバイク好きが訪れています。

悟道峠と智異山眺望公園(오도재와 지리산조망공원)

悟道峠と智異山眺望公園(오도재와 지리산조망공원)

3.6 Km    43126     2024-02-08

キョンサンナム道ハミャン郡マチョン面チリサンガヌンギル534

咸陽(ハミャン)から智異山(チリサン)へ行く最短コースで、2004年に開通しました。峠を越えてくねくね曲がる道は、単に道路というだけでなく観光名所ともなっています。悟道峠(オドジェ)頂上のすぐ下の、智異山の主稜線(老姑壇(ノゴダン)~天王峰(チョヌァンボン))が一望できるところに広い智異山眺望公園を造成し、ここを通る観光客に見どころと憩いの場を提供しています。

上林公園(상림공원)

5.9 Km    53689     2021-11-05

慶尚南道 咸陽郡 咸陽邑 ピルボンサンキル 49

約1200年の歴史を持つ「上林(サンリム)公園」は川岸と河川敷を保護するために作られた人工林で、天然記念物に指定されています。上林公園は咸陽を代表する見どころで、「故郷を忘れても上林は忘れない」という言葉があるほどです。

ノガネ(노가네)

ノガネ(노가네)

7.0 Km    0     2024-01-11

キョンサンナム道ハミャン郡ハミャン邑ヌェギェギル283

体を温めてスタミナをつけてくれる韓国の代表的な滋養食、サムゲタンや鴨肉の水炊きなどを提供しています。普段なかなか食べられないコウタケ(広葉樹林で育ち、独特の香りと味、弾力のある食感が特徴)や貴重な山参(天然高麗人参)を使っているのが特徴です。代表メニューのコウタケ入りサムゲタンは大きな鶏をじっくり煮込んであるのでお肉が柔らかく、たっぷり入ったコウタケとニラの味が程よくマッチし、ボリューミーで満足感があります。各種韓方材料がたっぷり入ったスープの濃厚な味が絶品で、食欲を高めるキムチや漬物などのおかずもおいしく多くの常連客が足しげく通います。

[智異山トゥルレ道コース]引月~金渓([지리산둘레길코스]인월~금계)

[智異山トゥルレ道コース]引月~金渓([지리산둘레길코스]인월~금계)

8.7 Km    5195     2024-04-08

チョンブク特別自治道ナムォン市イヌォル面チュングン里308-1

智異山(チリサン)トゥルレ道コースのうち、引月(イヌォル)~金渓(クムゲ)は、全羅北(チョンラブク)道南原(ナムォン)市引月面から出発し、慶尚南(キョンサンナム)道咸陽(ハミャン)郡トゥングジェを通って金渓村へと続くトレッキングコースです。総長20.5キロメートルで完走するのに10時間ほどかかるため、1泊2日の日程を組んで挑む旅行者がたくさんいます。智異山の雄大な山容と広々とした田んぼ、6つの山村を眺めることができます。

瑞庵精舎(咸陽)(서암정사(함양))

8.9 Km    43110     2024-02-21

キョンサンナム道ハミャン郡マチョン面クァンジョムギル27-79

瑞庵精舎(ソアムジョンサ)は、智異山七仙(チリサン・チルソン)渓谷の入り口にある碧松寺(ピョクソンサ)所属の庵です。1950年の韓国戦争により破壊された碧松寺を再建した元応(ウォヌン)和尚が自然の岩盤に彫刻した仏像と極楽世界を描いた石窟法堂を見ることができます。庵には大方広門、石窟法堂、獅子窟があります。

智異山韓屋村[韓国観光品質認証](지리산한옥마을[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

智異山韓屋村[韓国観光品質認証](지리산한옥마을[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

9.1 Km    12969     2024-04-08

チョンブク特別自治道 ナムウォンシ テジョンバンチョンギル 43
+82-63-636-1003、 +82-10-8107-1838

全羅北道の南原市にある「智異山韓屋村」は、天王峰と老姑壇の下の名堂として有名な古宅であります。ペムサ谷と老姑壇が車で20分以内にあり、夏場の訪問の比重が高いです。周りの景観があまりにも優れていて、詩人、文学人、経営人がよく訪れ、特に2008年にノーベル文学賞の候補がここに滞在しながら作品活動をしたと言われます。 

山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

9.2 Km    17192     2020-07-13

慶尚南道 山清郡 今西面 仇衡王陵路
+82-55-970-6411

伝・仇衡王陵(チョン・クヒョンワンヌン=仇衡王陵と伝えられている王陵という意)は伽倻(カヤ)の第10代の王・ 仇衡王(クヒョンワン)の墓として後世に伝えられている積石塚で、仇衡王は仇亥(クヘ)あるいは譲王(ヤンワン)とも呼ばれています。伽倻の王・仇衡王はその後の新羅の将軍・金庾信(キム・ユシン)の曽祖父にあたる人物です。521年に伽耶国の王に即位し、532年新羅の法興王(ポプンワン)に領土を明け渡すまで11年間、王の座に在位しました。

この墓を巡り、石塔であるという説と、王陵であるという説の二つの説があります。この石積塚を塔と見る見解はこれと似たものが安東(アンドン)と義城(ウィソン)地方に分布していることを根拠にしています。
一方、王陵であるという根拠は韓国全土を網羅した地理誌「東国輿地勝覧」の山陰県山川條のところに「県の40里(注:韓国の1里は約400m)の山中に石で積まれた九龍があるが、四面にすべて段々となっておりが、世俗には王陵と伝えられている」という記録があります。

この墓に王名を付けた記録は朝鮮時代の文人・洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の「王山尋陵記」(ワンサンシムヌンギ)に初めて登場しますが、墓の西側に王山寺(ワンサンサ)という寺があり、寺に伝えられている「王山寺記」に仇衡王陵という記録があったといいます。

一般の墓とは違い、傾斜のある丘の中腹にすべてで高さ7.15mの階段式の石段をなしています。前から見ると7段になった石積みで、後ろからは急な傾斜をそのまま利用して作られているため、平地に作られたピラミッド型の階段状の石積みとは異なった形となっています。墓の最上部は楕円形に石が積まれています。

 積石塚の真正面には「駕洛国譲王陵(カラックク・ヤンワンヌン)」と書かれた碑石があり、そのそばには石造物がいくつかありますが、これは近年に建てられたもので王陵の時代のものとは異なります。

朝鮮時代末期の正祖17(1793)年には、王山寺で長年伝承されてきた木箱から発見された仇衡王と王妃の肖像画、衣、弓などを収蔵するため、「徳譲殿(トギャンジョン)」という殿閣を建立、今日でも春や秋になると祭祀を執り行っています。




[詳細解説]
仇衡王陵と伝えられているこの積石塚・伝仇衡王陵は、駕洛編年記(カラクピョンニョンギ)によれば、新羅時代の法興王19(532)年、仇衡王が方丈山(パンジャンサン)の太王宮(テワングン)で亡くなり譲王(ヤンワン)という諡号(贈名)を追号しそこに埋葬されたということから、駕洛国第10代譲王の陵と言われています。譲王は新羅の王との戦いに敗れ、戦死したとも伝えられています。

この墓は一般の墳墓とは異なり、石積みの階段状になった方形をしており、西から東へと下る斜面に雑石で築造しています。
正面は7段となっていますが、後面は斜面に作られていることもあり前面に比べ傾斜があり段数も少なくなっています。石礫は正面からみても直線に積まれてはおらず、やや曲がった形で積まれ、また四隅も明確な形で作られておらず、最も上の部分は土を盛り上げて作る封墳のように楕円の半球型の形に石が積まれています。
前面中央から一番高いところまでの高さは7.15mほどあり、何の目的で作られたかは定かではありませんが第4段の東側に幅40cm、高さ40cm、深さ68cmの小さな仏像や位牌などを安置する龕室(カムシル)が設けられています。

この石積塚の周りには同じような雑石で高さ1mほどの塀が築かれており、また石積塚の真正面には「駕洛国譲王陵」と刻まれた石碑が建っています。さらに、その石碑の前には供え物などを置く平たい床石や石灯篭の一種・長明灯(チャンミョンドゥン)もあります。
その左右には文人石・武人石・石獣がそれぞれ一対ずつありますが、これら石造物は最近建てられたものであり石積塚とは年代的に大きな差がある石造物です。

この石積塚をめぐっては従来石塔という説と王陵という二つの説が提起されてきました。まず、これを石塔とする説はこのような形態の石塔が安東や義城地方に分布していることを根拠に挙げています。
一方、王陵とする説は「東国輿地勝覧」の山陰県山川條に「王山(ワンサン)」についての記述があり、その 脚注に「県の40里の山中に石で積んだ九龍があるが、四方すべての面が段々となっており、世間には王陵と伝えられている」という記録があります。
この墓を仇衡王陵という名称で初めて言及したのは洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の ≪王山尋陵記(ワンサンシムヌンギ)≫でのことですが、近くにある王山寺(ワンサンサ)に伝えられている≪山寺記巻(シンサギグォン)≫に仇衡王陵と書かれていたといいます。
他の史料≪山清県遺誌≫によれば、正祖22(1798年)初めて王陵について言及したと記録している書物は、洪儀泳の ≪王山尋陵記≫で、これを根拠に王陵と判断したと思われます。伝えられるところでは、およそ200年前に村の人々が山に登り、祈雨祭(雨乞い)を行ったところ雨が降り、下山した王山寺で雨宿りをしていると、本堂の梁の上に正体不明の大きな木箱を見つけ、これを梁から下ろして中を見てみると、その中から仇衡王やその王妃の肖像画や服、弓、刀などの遺物とともに名僧・担渶(タンヨン)が記した王山寺記を発見、これを手掛かりに王陵を探し出すことができたといいます。
この時発見されたこれら遺物を所蔵するために朝鮮時代後期の正祖17(1793)年に徳譲殿を建て、それ以降毎年春と秋に追慕祭を執り行っています。

トビスコンドミニアム智異山(토비스콘도 지리산)

トビスコンドミニアム智異山(토비스콘도 지리산)

10.0 Km    3067     2024-04-07

チョンブク特別自治道 南原市 山内面 山内ウォンチョンキル4-5

「トビスコンドミニアム智異山(チリサン)」は、客室56室と付帯施設として食堂、スーパー、宴会場などを備えています。周辺には、荒山大捷碑址、ホンブル文学村、ハングライディング&パラグライディング、ピ岩、春香テーマパーク智異山、蓼川水上遊園地、昇月橋、百丈庵渓谷、万福寺址、東便制パンソリ伝授館、南原城、南原ランド、南原観光団地、蛟竜山城、広寒楼苑などがあります。