智異山10景(지리산10경) - エリア情報 - 韓国旅行情報

智異山10景(지리산10경)

智異山10景(지리산10경)

15.6 Km    8754     2024-04-07

全羅南道 求礼郡 山洞面
+82-55-970-1000

智異山(チリサン)は、谷が深く山並みが美しく、また高さによって異なる景色を醸し出す山です。特に多くの峰と汚れのない自然を残している所でもあります。そのため、ほかの所では見られない秘境が多くある所としても有名です。その中でも最高とされる景色を集めたのが「智異山10景」です。
智異山第1景は朝の日の出です。ここから見る日の出は韓国一といわれるほどです。第2景は老故雲海(老姑壇の雲海)です。智異山の西、標高1507メートルの老姑壇は智異山の幾多の峰の中でも最高と言われる所です。老姑壇は智異山縦走コースの出発点としても有名で、華巌寺渓谷に沿って頂上に上れば雲海の絶景が開けます。第3景は般若落照(般若峰の日の入り)、第4景は碧宵明月(夜に見る満月)です。赤い空と黒い山の稜線が絶妙な色合いを織り成しています。第5景は煙霞仙境(もやの間に見える赤い雲である夕焼け)です。第6景は仏日懸瀑(清鶴峰と白鶴峰の間にある深い崖滝)です。60メートルの高さから落ちる滝のはすさまじい音を出します。第7景はピアゴルの紅葉です。町内から出発して10分ほど行くと途中に全羅南道と慶尚南道の境界である外谷里に松林が見えます。ここがピアゴルで、智異山最大の闊葉樹林地帯です。春のツツジ、夏の青々とした木々、秋の紅葉、冬の雪景と四季を通して美しい所がピアゴルです。その中でも秋の紅葉は天下一の絶景に数えられるほどで、毎年ここで紅葉まつりが開かれます。第8景は小細つつじ(小さな石の間に咲くツツジ)、第9景は韓国3大渓谷のひとつにかぞえられる七仙渓谷です。最後の第10景は、蟾津清流です。智異山を南西に貫いて南海に至る蟾津江はその水が清く、青い錦織に比喩されるほどです。川の両側の白い砂場もまた美しいところです。

傍花洞自然休養林・家族休暇村(방화동 자연휴양림,가족휴가촌)

16.0 Km    19336     2024-04-08

チョンブク特別自治道 長水郡 蟠岩面 傍花洞路 778

長安山の麓にあり、美しい自然景観と谷間に隣接しています。自然学習場や冒険遊び場などの森林浴場施設が完備されている他、谷間に沿って自然の絶壁や多様な樹木が生い茂っており、豊かな自然を堪能することができます。標高500メートル以上の高地にあるため、気温が低く、標高1,000メートル以上の山に囲まれており、夏でも涼しいため、夏の避暑地として人気を集めています。

山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

山清 伝・仇衡王陵(산청 전 구형왕릉)

17.3 Km    17192     2020-07-13

慶尚南道 山清郡 今西面 仇衡王陵路
+82-55-970-6411

伝・仇衡王陵(チョン・クヒョンワンヌン=仇衡王陵と伝えられている王陵という意)は伽倻(カヤ)の第10代の王・ 仇衡王(クヒョンワン)の墓として後世に伝えられている積石塚で、仇衡王は仇亥(クヘ)あるいは譲王(ヤンワン)とも呼ばれています。伽倻の王・仇衡王はその後の新羅の将軍・金庾信(キム・ユシン)の曽祖父にあたる人物です。521年に伽耶国の王に即位し、532年新羅の法興王(ポプンワン)に領土を明け渡すまで11年間、王の座に在位しました。

この墓を巡り、石塔であるという説と、王陵であるという説の二つの説があります。この石積塚を塔と見る見解はこれと似たものが安東(アンドン)と義城(ウィソン)地方に分布していることを根拠にしています。
一方、王陵であるという根拠は韓国全土を網羅した地理誌「東国輿地勝覧」の山陰県山川條のところに「県の40里(注:韓国の1里は約400m)の山中に石で積まれた九龍があるが、四面にすべて段々となっておりが、世俗には王陵と伝えられている」という記録があります。

この墓に王名を付けた記録は朝鮮時代の文人・洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の「王山尋陵記」(ワンサンシムヌンギ)に初めて登場しますが、墓の西側に王山寺(ワンサンサ)という寺があり、寺に伝えられている「王山寺記」に仇衡王陵という記録があったといいます。

一般の墓とは違い、傾斜のある丘の中腹にすべてで高さ7.15mの階段式の石段をなしています。前から見ると7段になった石積みで、後ろからは急な傾斜をそのまま利用して作られているため、平地に作られたピラミッド型の階段状の石積みとは異なった形となっています。墓の最上部は楕円形に石が積まれています。

 積石塚の真正面には「駕洛国譲王陵(カラックク・ヤンワンヌン)」と書かれた碑石があり、そのそばには石造物がいくつかありますが、これは近年に建てられたもので王陵の時代のものとは異なります。

朝鮮時代末期の正祖17(1793)年には、王山寺で長年伝承されてきた木箱から発見された仇衡王と王妃の肖像画、衣、弓などを収蔵するため、「徳譲殿(トギャンジョン)」という殿閣を建立、今日でも春や秋になると祭祀を執り行っています。




[詳細解説]
仇衡王陵と伝えられているこの積石塚・伝仇衡王陵は、駕洛編年記(カラクピョンニョンギ)によれば、新羅時代の法興王19(532)年、仇衡王が方丈山(パンジャンサン)の太王宮(テワングン)で亡くなり譲王(ヤンワン)という諡号(贈名)を追号しそこに埋葬されたということから、駕洛国第10代譲王の陵と言われています。譲王は新羅の王との戦いに敗れ、戦死したとも伝えられています。

この墓は一般の墳墓とは異なり、石積みの階段状になった方形をしており、西から東へと下る斜面に雑石で築造しています。
正面は7段となっていますが、後面は斜面に作られていることもあり前面に比べ傾斜があり段数も少なくなっています。石礫は正面からみても直線に積まれてはおらず、やや曲がった形で積まれ、また四隅も明確な形で作られておらず、最も上の部分は土を盛り上げて作る封墳のように楕円の半球型の形に石が積まれています。
前面中央から一番高いところまでの高さは7.15mほどあり、何の目的で作られたかは定かではありませんが第4段の東側に幅40cm、高さ40cm、深さ68cmの小さな仏像や位牌などを安置する龕室(カムシル)が設けられています。

この石積塚の周りには同じような雑石で高さ1mほどの塀が築かれており、また石積塚の真正面には「駕洛国譲王陵」と刻まれた石碑が建っています。さらに、その石碑の前には供え物などを置く平たい床石や石灯篭の一種・長明灯(チャンミョンドゥン)もあります。
その左右には文人石・武人石・石獣がそれぞれ一対ずつありますが、これら石造物は最近建てられたものであり石積塚とは年代的に大きな差がある石造物です。

この石積塚をめぐっては従来石塔という説と王陵という二つの説が提起されてきました。まず、これを石塔とする説はこのような形態の石塔が安東や義城地方に分布していることを根拠に挙げています。
一方、王陵とする説は「東国輿地勝覧」の山陰県山川條に「王山(ワンサン)」についての記述があり、その 脚注に「県の40里の山中に石で積んだ九龍があるが、四方すべての面が段々となっており、世間には王陵と伝えられている」という記録があります。
この墓を仇衡王陵という名称で初めて言及したのは洪儀泳(ホン・ウィヨン=1750~1815年)の ≪王山尋陵記(ワンサンシムヌンギ)≫でのことですが、近くにある王山寺(ワンサンサ)に伝えられている≪山寺記巻(シンサギグォン)≫に仇衡王陵と書かれていたといいます。
他の史料≪山清県遺誌≫によれば、正祖22(1798年)初めて王陵について言及したと記録している書物は、洪儀泳の ≪王山尋陵記≫で、これを根拠に王陵と判断したと思われます。伝えられるところでは、およそ200年前に村の人々が山に登り、祈雨祭(雨乞い)を行ったところ雨が降り、下山した王山寺で雨宿りをしていると、本堂の梁の上に正体不明の大きな木箱を見つけ、これを梁から下ろして中を見てみると、その中から仇衡王やその王妃の肖像画や服、弓、刀などの遺物とともに名僧・担渶(タンヨン)が記した王山寺記を発見、これを手掛かりに王陵を探し出すことができたといいます。
この時発見されたこれら遺物を所蔵するために朝鮮時代後期の正祖17(1793)年に徳譲殿を建て、それ以降毎年春と秋に追慕祭を執り行っています。

求礼 山茱萸村(구례 산수유마을)

求礼 山茱萸村(구례 산수유마을)

17.4 Km    33356     2022-10-12

全羅南道 求礼郡 山洞面 位安月渓キル6-12
+82-61-783-9114

山茱萸村の乳山(ユサン)は痩せた土地に農業を営むことが難しいところですが、毎年春の訪れを知らせる山茱萸(サンシュユ)の花が咲くと智異山(チリサン)を訪れる人々が数多くやってきます。
標高400メートルに位置する全羅南道求礼郡山洞面位安月渓の山茱萸村は、毎年3月になると黄色い山茱萸で満開になります。白頭山から連なる山系・白頭大幹にある万福台の水脈をいただく山洞浄水場は2010年韓国全国で最優秀の水質ということで大統領賞を受賞し、ミネラルウォーター工場、ゲルマニウムを含む智異山温泉岩盤水や最高の水質の水の里となっています。
ここで育つ山茱萸(サンシュユ)は全国の70パーセント以上を占め、9月の日差しと日照条件が韓国で最高の品質の山茱萸の実を作り出します。
山村生態村である山茱萸村は、春には山茱萸祭り、夏には水落瀑布、秋には山茱萸の実祭りがあり、冬には万福台の雪景色と、癒しをもたらす最高の観光地となっています。
また山茱萸村は山茱萸古道トレッキングや大東與地図古道歩きなど智異山のトレッキングコースである智異山トゥレキルの7つの区間に隣接する地域でもあり、サンウィからミョボンチまでの登山路、タンゴルから性三ジェ(峠)までの登山路、智異山温泉での休息を兼ねた観光など健康や癒しをもたらす様々な旅行ができるところです。

智異山テゴジェ(正一品農園)(지리산태고재(정일품농원))

智異山テゴジェ(正一品農園)(지리산태고재(정일품농원))

18.5 Km    0     2024-01-11

キョンサンナム道ハミャン郡チゴク面ケピョンギル39-2

介坪(ケピョン)韓屋村が一望できる丘の上にあり、ドラマ『ミスター・サンシャイン』など多くの映画やドラマのロケ地としても人気のスポット。瓦葺と茅葺が共存する唯一無二の伝統的な韓屋で、韓屋ステイをしながら静かな一晩を過ごすことができます。正一品、伝統室、ハクソン堂、チウン堂で構成され、茅葺は他ではなかなか見られない伝統的な形態をしています。韓定食専門店としても有名で、宿泊客に限り旬の食材を使った伝統的な韓国料理が提供されます。

介坪韓屋村(개평한옥마을)

18.6 Km    48573     2024-01-11

キョンサンナム道ハミャン郡チゴク面ケピョンギル59

築100年を超える大小の韓屋約60軒が伝統的な雰囲気を漂わせながら佇んでいる村。川と川の間にあることから、間に挟まることを意味する「介」の字を使って介坪(ケピョン)という名前が付けられました。古くからソンビ(儒生)と文人が多く住むことで有名だった地域なだけに、慶尚道における典型的な上流階級の屋敷に触れることができます。介坪韓屋村が位置する池谷面に入ると真っ先に目に飛び込んでくる「咸陽一蠹故宅」は、ドラマ『ミスター・サンシャイン』や『土地』などの撮影にも使用されました。長い歴史を持つ韓屋と曲線を描きながら続く石垣の風景は心を安らげてくれます。また村の各所で押し花体験、らくがん作り、探訪路ウォーキングなど様々な体験プログラムも行われています。その他、村の中で最も古い母屋がある盧参判宅では、コチュジャン作り体験ができます。

ソルソン酒文化館(솔송주문화관)

18.7 Km    0     2024-01-19

キョンサンナム道ハミャン郡ケピョンギル50-6

ソルソン酒は、4~5月に介坪(ケピョン)村周辺の山で摘んだ松の新芽を蒸し、酒母に蒸米と一緒に入れて発酵させてから蒸留したお酒。首脳会談の晩餐会で出されたり、国際イベントの乾杯酒として何度も紹介されています。介坪韓屋村の入口にあるソルソン酒文化館ではソルソン酒の歴史と伝統を紹介しています。500年以上にわたり代々伝わるソルソン酒の製法を伝授された無形文化財のパク・フンソンさんが、30年近くご主人と一緒に文化館を運営してきました。伝統的な道具を使って造ったソルソン酒をはじめ、高麗時代のお酒である緑波酒、米焼酎のタムソルなど、様々な伝統酒を見ることができ、試飲も可能です。そのまま味わうだけでなく、様々なカクテルを作って楽しむこともできます。カクテル作り体験ではタムソル・ジュレップ、ソルバラム、タムソルティ、タムコークの全4種類のカクテルが用意されています。

灆渓書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](남계서원 [유네스코 세계문화유산])

灆渓書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](남계서원 [유네스코 세계문화유산])

18.7 Km    35137     2024-01-11

キョンサンナム道ハミャン郡スドン面ナムギェソウォンギル8-11

1552年設立の灆渓(ナムギェ)書院は、慶尚北道栄州(ヨンジュ)の昭修(ソス)書院に続いて韓国で2番目に建てられた書院です。書院とは朝鮮時代に儒教式で祭祀を行い、人材を育成するために設立された私設教育機関のことです。「灆渓」は書院の前を流れる川の名前に由来しています。1597年に戦争で焼失し、1612年に再建されました。小高い丘にあり、灆渓川が流れる野原の向こうに介坪(ケピョン)韓屋村が望めます。

長安山郡立公園(장안산군립공원)

長安山郡立公園(장안산군립공원)

19.3 Km    12978     2024-04-07

チョンブク特別自治道 長水郡 渓南面 長安里

長安山郡立公園は面積6,380平方キロメートル、高さ1,237メートルで、1986年に長水郡郡立公園に指定されました。長安山の東側の稜線に広いススキ畑が広がっており、風になびく様子は壮観です。

牛鳴里 鄭氏古家(孝里宅)[韓国観光品質認証](우명리 정씨고가(효리댁)[한국관광품질인증/Korea Quality])

牛鳴里 鄭氏古家(孝里宅)[韓国観光品質認証](우명리 정씨고가(효리댁)[한국관광품질인증/Korea Quality])

19.4 Km    5690     2018-12-23

慶尚南道 咸陽郡 水東面 孝里キル 6
+82-70-4257-4110, +82-10-5356-4116

「牛が鳴く村」という由来がある牛鳴里(ウミョンニ)は風水地理学上、牛が安らかに横たわり反芻する姿のような地形をしているところです、農業を営んでいた昔の人々にとって牛は豊かさと平和の象徴でした。そのためこの村は昔から土地が肥沃で豊かなところとして有名なところでした。その村で中心的な役割を果たす学者の家がこの牛鳴里鄭氏古家です。またこの村は孝行者を多く輩出したことでも有名で孝里村(ヒョリマウル)と別名で呼ばれることもありました。村の人々は昔から学者を多く輩出し、土地が広く暮らし向きも豊かだったこの家を中心に村を形成していたため、「孝里宅」とも言われてきました。
この韓屋のオーナーは2013年からこの家を一般に公開しはじめましたが、板の間に横になりじっと空を眺め人々が憩いのひとときをすごしてもらいたいという一心ではじめたのがきっかけでした。まだここに実際に宿泊した人は多くはありませんが、牛鳴里鄭氏古家に泊まった人々に村の素晴らしい気を与え、歴史と伝統を身近に感じでもらえる場所になればとオーナーは願っています。
自家菜園で野菜を収穫したり、ソンビ(朝鮮時代の学者)体験もできる牛鳴里鄭氏古家、農業を生業とし数多くの学者を輩出した朝鮮時代の伝統的な韓屋を体験できる場所です。