10.3Km 2023-01-04
全羅南道 潭陽郡 歌辞文学面 瀟灑園キル17
+82-61-381-0115
「瀟灑園(ソセウォン)」は韓国の伝統様式が息づく朝鮮時代の代表的な民間庭園。梁山甫が恩師である趙光祖の死を期に出世を捨てて造った庭園で、静かな竹林の中に「安貧楽道」の風流を楽しんだ先人の情緒があふれるところです。清くすがすがしい庭園という意味の「瀟灑園」という通り、ここを訪れると静かで落ち着いた気持ちになれます。
敷地を流れる小川を中心にした左右の丘に桃の木をはじめとする多様な草木を植え、塀の下には清らかな渓流が岩の上を流れるように造られており、また渓流の上には丸木橋が架けられています。水車からながれる水の流れなども自然と人工との調和が見事で、美しい山水の姿をそのまま庭園に移したような景色となっています。
10.3Km 2025-07-03
クァンジュ広域市トン区チュンシムサギル177
証心寺(チュンシムサ)は光州地域の代表的な仏教道場で、無等山の西側の麓に位置しています。統一新羅時代である9世紀中ごろに高僧・澈鑒禅師道允が建てた寺で、高麗時代である1094年に慧照国師が建て直し、朝鮮時代である1443年に金倣によりまた建て直しが行なわれました。その後、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失しましたが、1609年に釋経・修装・道光らにより建て直しが行なわれました。以後も信者により何度も補修が行なわれ、韓国戦争の際にも大部分が焼失しましたが、1970年に大雄殿を始めとする建物が復旧しました。
光州広域市文化遺産資料に指定された寺院であり、さまざまな体験プログラムが用意されたテンプルステイを運営しています。
10.4Km 2025-06-16
クァンジュ広域市プク区ピョンチョンギル15
+82-62-266-2287
「坪村村(ピョンチョンマウル)」は、無等山の北側麓に位置するトンリム、タマン、ウソン、タムェという4つの自然村で形成されたこぢんまりした静かな農村です。草の生い茂る野原があるなど自然豊かな村で、自然にやさしいウロンイサル(タニシ米/タニシ農法で栽培する無農薬の米)を栽培しています。また、村の中心を流れる楓岩川では、都心では見ることのできないホタルや無等山の象徴種である天然記念物のカワウソが生息しているなど、すばらしい自然生態系を維持しています。朝鮮時代には、粉青沙器が作られていた場所で、全羅南道の芸術魂を持つ地域でもあり、現在は村にある坪村陶芸工房が、その伝統を受け継いでいます。村には、食堂「ムドルキルシムト」や「ホタル民宿」などがあり、ここを訪れる人々や無等山探訪客の休息の場となっています。
10.6Km 2016-05-19
光州広域市 光山区 尚武大路420-25
1948年11月16日に光州の鶴洞に光州飛行場が開港し、翌年の1949年2月10日に民間航空機(DC-3)が初めて就航、1964年1月10日に現在の位置に移転しました。本格的な旅客輸送のため、ターミナルビル、誘導路、エプロンなどの施設を拡張し続け、1990年6月からは韓国空港公社が運営を引継いでいます。1994年度には年14万回の運航と400万人を処理できる旅客ターミナル、3.3万トンを処理できる貨物ターミナルと中型機7機が同時に駐機できるエプロン、933台の車が同時に駐車できる駐車場などができ、光州空港(クァンジュゴンハン)は韓半島(朝鮮半島)西南部の航空交通の重要な役割を果たしています。
10.8Km 2024-09-20
全羅南道 潭陽郡 鳳山面 俛仰亭路 382-11
全羅南道記念物に指定されているあずまや「俛仰亭」は全羅南道潭陽郡、鳳山面斎月里斎峯山のふもとに位置しています。1533年に宗純が建てたもので、李滉(イファン)をはじめ多くの学者や文人が学問について討論した場所です。
11.2Km 2021-04-16
全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル 56-24
+82-2-383-3807
全羅南道潭陽(タミャン)郡昌平(チャンピョン)は農村地帯でトマト、イチゴ、ハウス栽培の野菜など近郊農業が盛んな所で、素晴らしい自然環境がいまもなお残りつつ、田園都市など今後の発展への潜在力を持つ、人情にもあふれ住みやすい美しいところです。
昌平(チャンピョン)という地名は高麗時代初期まで遡ることができ、これまで文武百官を輩出したソンビ(学者)の村として忠・孝・礼・信義を守り続けてきた村としてその名声を博しています。壬辰倭乱(日本で言う文禄・慶長の役)の時の義兵隊長だった霽峰・高敬明(コ・ギョンミョン)先生の次男・鶴峰・高因厚(コ・インフ)先生の11代子孫である大韓帝国末期の義兵隊長・鹿川・高光洵(コ・グァンスン)義兵隊長が生まれた義を重んじる村で、近現代に入って1906年4月1日私立長興学校を創設・開校し、新学問を教育した春崗・高鼎柱(コ・ジョンジュ)先生、国務総理や国会副議長、中央省庁のトップである長官、大法院(最高裁)判事、マスコミ界の重鎮・高在旭(コ・ジェウク)、初の工学博士・李升基(イ・スンギ)博士、初の女性農学博士・金三純(キム・サムスン)博士の故郷でもあります。
朝鮮時代に王への献上品として有名であった昌平米飴や韓菓、千年の神秘をとどめる竹塩、竹塩味噌、伝統トッカルビなどは韓国伝統の食べ物として昌平が誇るものです。
歴史
三韓時代 - 拘溪国
百済時代 - 屈支県
新羅時代 – 757(景德王16)年祈陽県
高麗時代 – 940(太祖23)年昌平県(別名として鳴平[ミョンピョン])。 1144(仁宗21)年、中央指定官として県令を置く。
朝鮮時代 –
1474(成宗5)年-昌平県を撤廃し光州牧に隷属させる形となったものの、金有山(キム・ユサン)が王に訴え 再び1479年昌平県となる。
1758(英祖34)年閔百禄(ミン・ペンノク)が昌平県誌を編纂し、1793年(正祖17)年昌平県令である趙光存(チョ・グァンジョン)が現在の古西面古邑里から昌平面昌平里82番地(昌平面事務所)に移る。
1895(高宗32)年5月26日南原府昌平郡(4等郡守)となる。
1896(高宗33)年8月24日全羅南道昌平郡として9つの面を管轄。
日帝強占期 – 1910年国権侵奪時代 - 昌平郡
1914年2月28日、部令第11号(1913年12月29日公布)により昌平郡が潭陽郡に編入され、昌平面に改称
※ 昌平という地名は孔子の出生地・魯の昌平郷とその地形などが似ていることから命名されたという説があります。
1990年4月1日付で南面外東里が昌平面に編入
11.4Km 2024-12-22
クァンジュグァンヨクシ クァンサング ネサンノ51(オシブイル)ボンギル 27
+82-70-8830-7700
光州広域市の松亭洞にある「ダソムチェ」は、80年になる大監宅の古宅と、広々とした庭がある韓屋のゲストハウスであります。全客室は天然黄土部屋で、天然綿の寝具が提供されます。庭の処々に朱木、槐、梅の木等の色々な木が植えられていて、夏になると煙突を取り囲んでいる凌霄花の壮観が見られます。松亭駅から車で10分以内の距離にあって、利便性はもちろん、様々な旅行先へのアクセスも高いです。
11.4Km 2021-06-25
全羅南道 潭陽郡 昌平面 トルダムキル9-22
昌平スローシティ「サムジネ村」は1510年頃に形成された村で、東の方には月峰山、南側にはクッス峰がそびえています。村の前を流れる川の様子が鳳凰が羽を伸ばして取り囲んでいる形に見えることから三支川(サムジネ)と呼ばれています。
「サムジネ村」は2007年、韓国初のスローシティに指定されており、自然のなかでスローフードやスローアートを体験し、スローな暮らしを追求します。
食べ物:薬草定食、田舎菜園定食、タケノコのナムル、市場クッパ、田舎定食
周辺観光地:竹緑園、メタセコイア並木道、瀟灑園 など
11.5Km 2024-12-23
チョンラナムド タムヤングン トルダムギル 88-9
+82-10-3606-1283
名品古宅の「韓屋で」は、竹谷の潭陽の昌平のスローシティのサムジネ村にあります。広々とした庭の庭園を真ん中に置いて、古宅と別屋、サランチェ、トゥランチェが位置しています。蘇鎖院と松江亭などの文化財と竹緑園、メタシェクワイア道が全て30分以内にあって、多様な観光も可能であります。美しい石垣道と調和し、昔の田舎の趣をそのまま感じながらリラックスできます。
11.6Km 2025-06-20
クァンジュ広域市クァンサン区クァンサンロ29ボンギル
光州(クァンジュ)松汀洞(ソンジョンドン)にはトッカルビ(粗挽きカルビ焼き)専門店が集まった通りがあります。松汀トッカルビは、牛肉を使う普通のトッカルビとは違って牛肉と豚肉を混ぜて使います。もともと松汀トッカルビも牛肉を使っていましたが、1990年代後半に経済が厳しくなり材料費が値上がると、提供価格を値上げしないために豚肉を混ぜてメニューとして出したといいます。肉質が異なる豚肉と牛肉が出会い、幻想的な相性を作り出し、松汀トッカルビは誕生しました。この他にもトッカルビに添えられる骨スープは独特な松汀の味です。豚骨、昆布、大根などを入れて長時間煮込んだ骨スープはこれだけでも立派な一品です。