12.0Km 2024-02-16
インチョン広域市チュン区トンファマウルアンギル9-1
童話村トルゴレピザは、見た目は韓国のおやつのたい焼きに似ていますが、味はピザのトルゴレ(イルカ)ピザを販売する異色の飲食店です。イルカの形をした型に小麦粉の生地を流し込んでピザの具を詰め、食べやすい屋台料理に仕上げています。好みに応じてプルコギ、コーンチーズ、ステーキ、クリーム、小豆などの味から選ぶことができます。
12.1Km 2019-12-19
ソウル特別市 陽川区 木洞東路167
+82-2-2650-2200
大韓仏教曹渓宗「国際禅センター」は、韓国仏教と伝統文化のグローバル化を目的とした国際的なセンターです。総面積2,110平方メートル(638坪)、延べ面積10,600,34平方メートル(3,206坪)の地上7階・地下3階規模で禅院、テンプルステイ館、大法堂、教育文化館などの施設を取り揃えており、看話禅修業、テンプルステイ禅文化講座、精進料理伝授など韓国伝統文化を体験できるプログラムを運営しています。
都心でのテンプルステイおよびテンプルライフを通じて仏教の伝統修行法を学び、体験できる場所であり、韓国人・外国人のための多彩プログラムを運営が用意されています。寺院体験をしたくても時間に余裕がない現代人、心身を休めたい人々のための開かれた空間となっている他、土曜日に英語で行われるDharma Talkは冥想教室で座禅修行を学ぼうとする人ならだれもが自由に参加することができます。
12.1Km 2024-02-28
仁川広域市チュン区チェムルリャンロ232ボンギル46
自由公園は仁川港が開港し5年後に造られた韓国初の西洋式公園です。
敷地が高台にあり広々とした園内には木々も鬱蒼と生い茂っており、散策におすすめの公園です。
公園の最も高台になっているところには韓米修好100周年記念塔が建っています。1882年4月韓国と米国の間で調印された韓米修好通商条約締結を記念し、100周年となった1982年に建てられたものです。
韓国戦争(1950~53年・休戦)で仁川上陸作戦を成功に導いたマッカーサー将軍の戦功を称えるマッカーサー将軍銅像もすぐそばにあります。銅像は仁川上陸作戦が成功裏に終わった7年後の1957年9月15日に完工しました。
自由公園の高台からは遠く仁川沖まで眺められます。自由公園内には小さな動物園や八角亭、然吾亭、ベンチなど憩いの場もあります。
マッカーサー銅像があることから、お子様連れの方々にはよい歴史教育の場としてもご活用いただけます。
毎年4月になると自由公園へ上る道は桜の花で満開となります。この時期に合わせて桜祭りも開催されています。
公園の高台から眺める仁川港や月尾島(ウォルミド)の風景も最高です。夜が更けるころになると自由公園から一望する仁川港の夜景は大変素晴らしく、カップルのデートコースとしても大変有名な場所となっています。
近くにはチャイナタウン、新浦洞(シンポドン)市場、仁川百貨店などがあります。少し足を伸ばせば沿岸埠頭、月尾島へも行くことができます。
時間に余裕があれば、自由公園から下ってくる道すがらにある虹霓門(ホンイェムン)に立ち寄ってみるのもおすすめです。虹霓門は仁川に住む日本人が自国の租界と杻峴(チュクヒョン)駅(現在のKORAIL京仁線・東仁川駅)を繋ぐ道路を造るため鷹岩山(ウンアムサン)の山の一部を削る形で1906年に着工、2年後の1908年に完成したトンネル状になった門です。この門の上部の形がアーチ型で虹の形に似ていることから、虹霓門と呼ばれるようになりました。
12.1Km 2023-11-06
インチョン広域市チュン区トンファマウルギル38
このあたりは昔、ソルゴル(松谷)またはソンサン(松山)と呼ばれていましたが、松林の間から見える月が風情があるということでソンウォル(松月)と呼ばれるようになりました。1883年の仁川港開港後には外国人が多く住む裕福な集落だったといいます。しかしその後、若者が去って高齢化が進み、建物は古くなり、空家も増え、街は活気を失いました。こうした環境を改善すべく花の道をつくり、古びた塀や壁に世界の名作童話をテーマに絵を描くとともにオブジェなどを設置し、「松月洞童話村(ソンウォルドンドンファマウル)」が形成されました。
12.1Km 2023-11-06
インチョン広域市チュン区チャユゴンウォンナムロ25
近代文化交流の場「済物浦倶楽部」
済物浦(チェムルポ)倶楽部の建物は開港期の仁川に居住していた米国・ドイツ・フランス・ロシアをはじめとする外国人や人数は少ないものの日本人・中国人らが親睦を深める社交場として1901年に建てられました。
煉瓦造り2階建てのブリキ屋根の建物で、内部には社交室・図書室・ビリヤード台などがあり、屋外にはテニスコートもありました。
1914年、外国人居住地域である各国租界が廃止されると、日本の在郷軍人会館、婦人会館、1945年の光復以降には在韓米軍がこの建物を利用していました。
1953年から1990年までは仁川市立博物館として、1990年から2006年までは仁川文化院として使われてきましたが、2007年、元々の済物浦倶楽部として再スタートしました。
済物浦倶楽部の名称
「済物浦倶楽部」の元々の名称は「済物浦クラブ」でした。しかしながら租界の制度が廃止され、「クラブ」が日本式の漢字表記「倶楽部」と表記するようになり、その名称がそのまま使われ今日に至っています。