6.7Km 2025-09-10
テグ広域市スソン区タルグボルデロ527ギル13-5
+82-53-666-4930
モミョンジェ(慕明斎)は壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592年)当時、明から援軍として参戦し、そのまま朝鮮に帰化した杜師忠という人物を称えるために杜陵杜氏一族が建てた「斎室」です。慕明斎とは「明を慕う」という意味です。
杜師忠は中国の杜陵出身で、壬辰倭乱が起きると明の提督だった李如松の麾下の将軍として朝鮮に派遣されました。彼は地勢を見極めて陣営を構えやすい場所を選ぶ「水陸地劃主事」という任務を任され、李如松の一級参謀として朝鮮軍とも戦略・戦術上の緊密な協議を行いました。
壬辰倭乱が終わり、彼は一端故郷に戻ったものの、丁酉再乱(慶長の役、1597年)が勃発すると、息子の杜山と杜逸建を連れて姉の夫である陳璘都督とともに再び戦場へ向かいました。戦乱が納まった後、彼は2人の息子と一緒に朝鮮に帰化し、朝廷からテグ(大邱)市内の中央公園(現在の慶尚監営公園)一帯の土地を賜ることになりました。
その後、彼が賜った土地に慶尚監営が移してくることになり、彼はその土地を国に戻してケサン(渓山)洞に移り住むことにしました。
彼は故国に置いてきた婦人と兄弟への懐かしさから最頂山(現在の大徳山)の下に家を移し、その町をテミョン(大明)洞と名付けました。そして祭壇を設け毎月1日には皇帝の居城である紫禁城に向かって拝礼をしたと伝えられています。
モミョンジェは四角い敷地の上に南向きに建てられており、正面4間・側面2間の二軒入母屋造りで建てられました。また、板の間を中心に左右にはオンドル部屋を、前面には0.5間の張り出し部屋を設けており、20世紀初頭のテグ地域の斎室建築様式がよく分かる構造となっています。
モミョンジェは1912年、慶山客舎が取り壊されたことをきっかけに、杜師忠の子孫たちがその材木を利用して彼の墓の前に建てたもので、建物の老朽化によって1966年に改修が行われました。
テグに訪れる中国人観光客が真っ先に足を運ぶ場所で、最近再整備事業によって新しく生まれ変わりました。その隣には韓国伝統文化体験館をオープンし、茶礼・韓服体験や弓道、東医宝鑑料理体験なども行っており、これらは伝統館で体験することができます。
6.7Km 2023-02-27
テグ広域市チュン区トンソンロ2ギル80
1960年の2·28学生民主義挙を記念して2003年に設けられた公園です。2.28義挙に続き3·15、4·19にいたるまで大邱(テグ)歴史の悲しみを秘めている場所ですが、現在は都心における快適な憩いの場となりました。中央噴水を中心に散策路、人工の小川、広場など休息のための施設があり、周辺には有名なグルメスポットも多いため、大邱市民から親しまれています。
6.7Km 2024-07-08
テグ広域市チュン区ククチェボサンロ102ギル66
大邱近代路地は、大邱の路地を隅々まで歩きながら生きた歴史に触れられる体験旅行(アクティビティ)スポット。大邱は韓国戦争(朝鮮戦争)のとき、他の地域に比べると被害がさほど大きくない地域でした。そのおかげで戦中・戦後の暮らしぶりを伝える跡が比較的よく保たれています。大邱の地方自治体が運営する路地ツアーはテーマや動線によって分かれています。最も人気があるのは近代文化路地コースで、大邱の主な近代史を振り返ることができます。桂山カトリック教会や第一教会、故宅、旧華橋小学校など、アナログ感漂う大邱や韓国の歴史の足跡をたどってみよう。(ホームページで予約)
6.7Km 2025-06-27
テグ広域市チュン区トンソンロ2ギル80
+82-53-430-5694
毎年5月、大邱国債報償路で開かれるパワフル大邱フェスティバルは韓国を代表するパレードフェスティバルです。韓国最大規模の街頭パレードと多彩な街頭芸術公演が繰り広げられ、誰もが参加して楽しめる市民フェスティバルとなっています。8車線の大通りを24時間規制して行われ、都市全体がひとつの舞台となって情熱とエネルギーを届けます。