12.8Km 2024-04-22
チュンチョンナム道アサン市トゴ面アサンマンロ199-7
牙山(アサン)レールバイクは、実際列車が走っていた鉄路と廃駅を活かした施設です。往復4.8kmの区間で40分間レールバイクを楽しむことができます。バイクに乗って農村風景を眺めることができ、季節に応じて異なる風景が広がります。
13.1Km 2024-10-16
忠清南道 牙山市 仁州面 貢税里聖堂キル10
+82-41-533-8181
「貢税里聖堂(コンセリソンダン)」は、牙山湾と揷橋川に挟まれた仁州面貢税里の丘の上に建てられたカトリック大田教区の本堂です。初期の宣教師はこの付近から上陸し布教を始め1894年に教会が作られましたが、最初は民家を教会として使用していました。その後1897年に司祭館が建てられ、1922年に本堂が完工し忠清南道で初の本堂となり、公州、安城、温陽、屯浦の各本堂はここから分かれたものです。
敷地には丙寅迫害で殉教した3人の墓地、広さ130坪の本堂と司祭館、避静の家、和合室などがあるほか、樹齢数百年を数える欅の木をはじめとした木々が育っていてとても美しいカトリック教会となっています。
朝鮮時代、貢税里には牙山、瑞山、韓山をはじめ清州、玉川など39の郡の租税を集めソウルに漕運船を利用して送る貢税の番(コンセコッコジ)という役人がいました。
13.3Km 2021-11-22
忠清南道 天安市 東南区 広徳面 広徳寺キル30
広徳寺(クァンドクサ)は新羅の善徳女王の時代(637年)に慈蔵律師が創建し、興徳王の時(832年)に珍山和尚により再建されました。牙山市と天安市の境界になっている広徳山(699.3メートル)の東南方向、太華山(455.5メートル)の西南側の山裾にあります。一柱門の表側には「太華山広徳寺」、裏側には「湖西第一禅院」と書かれた扁額がかかっていて僧の禅の修行道場であることを示していますが、それはひっそりとした雰囲気からも感じられることでしょう。朝鮮時代初期に第7代の王である世祖が病を治すべく通ったとも伝えられていて、壬辰倭乱以前は忠清、京畿地域で最も大きな寺の1つとして数えられるほどの勢力を誇っていました。しかし壬辰倭乱で寺は焼失してしまい、現在かつての栄華を直接確認することはできません。大雄殿、冥府殿、千仏殿など大部分の建物は近年になって再建されたものです。
大雄殿の近くにある宝華楼の前には樹齢数百年になるクルミの木が、また尞舎の隣にも大きなクルミの木があることから、広徳寺には古くからクルミの木が自生していたことがうかがわれます。
境内は品良く整備されています。特に参道横を流れる渓流のそばには高名な僧である法頂の手による「無所有」ということば書かれた立札が立っています。「私たちの目標は豊に所有することではなく、豊に存在することである。生の量が問題なのではなく、生の質こそを問わねばならない」という一節が広徳寺を訪ねる人びとの心をきれいにしてくれます。
13.3Km 2024-02-22
チュンチョンナム道チョンアン市トンナム区ウォンゴリ13ギル1
エンブル家屋は、天安(チョンアン)の旧都心に位置しているマルチカルチャーショップです。書店、カフェ、レストランと集いの場、陶芸工房、ゲストハウスが一か所に集まっています。1階には書店の[ボーヴォワール]、向い側にはカフェの[東洋趣味]があるので本とコーヒーを楽しめます。2階には[ウォンゴリ食堂]、レンタルスペースの[ビンカン(空欄)]があります。3階には陶芸工房の[画描図(ファミョド)]、4階にはゲストハウスの[マロコステイ]が運営されています。
13.6Km 2024-04-26
チュンチョンナム道チョナン市トンナム区モッコリ11ギル29(シンブ洞、ミョンドンカルグクス) 1階
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13.7Km 2024-02-22
チュンチョンナム道チョンアン市トンナム区コンドダムギル43-5
天津(チョンジン)は、天安(チョンアン)バスターミナルの近くで中華のコース料理が楽しめるレストランです。華僑2世から中華料理店を開業し、家業を受け継いできた老舗。ランチコースとディナーコースの正統中華料理で、広東フカヒレ、全家福(アワビと帆立の炒め)、中華冷菜、唐辛子チャプチェなどが次々と出てきます。最後の食事はジャージャー麺などの麺類で、デザートとしてはフルーツが提供されます。チャンポン、うどん、酢豚といった単品メニューも用意されています。
13.7Km 2024-04-29
チュンチョンナム道チョナン市トンナム区マンナムロ43(シンブ洞) (1階、商品券ショップ)
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