観光 - 韓国旅行情報

全州韓屋村[スローシティ](전북 전주 한옥마을 [슬로시티])

102608     2024-05-24

チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区キリンデロ99

全州韓屋村(チョンジュ ハノクマウル)は全羅北道全州市完山区豊南洞と校洞一帯に広がる伝統韓屋が立ち並ぶ町です。全州韓屋村には韓国の伝統家屋・韓屋700軒あまりが軒を連ねています。移り変わりの激しい街の中に、昔の姿をそのまま残した全州韓屋村は、韓国の伝統を感じられるところとして有名です。
全州韓屋村の魅力は何よりも韓屋の美しい屋根の曲線美にあります。屋根の裾が空に向かっているのが韓屋の特徴であり魅力です。韓屋は大きく母屋と舎廊(サラン)チェの建物にわけられます。母屋は女性が使うところで、舎廊チェは男性が使う所です。韓屋は男女別々の間取りとなっており、それぞれ特徴があります。母屋の場合は女性たちの生活空間だったこともあり、敷地の最も奥の方に位置しています。
韓屋のもう一つの特徴はオンドル部屋です。韓国は日常座って過ごすことが多いため、オンドルを焚いて床を温めます。建物の外の縁の下に焚き口を作り、火を焚くことでオンドル部屋を温めます。夏は涼しく、冬は暖かいのがオンドル部屋の大きな特長です。
全州韓屋村の韓屋生活体験館の中には母屋と舎廊チェの建物があり、ここでオンドル部屋の体験ができます。また、韓屋生活体験中に提供される伝統韓食は納清鍮器の器に盛られ、見た目にも味を引き立ててくれます。
全州韓屋村では古の韓国の人々の生活を体験できるばかりでなく、おいしい全州ビビンバも味わうことができ一石二鳥の体験ができる場所です。

寒碧堂(한벽당)

寒碧堂(한벽당)

10093     2024-05-23

チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区キリンデロ2

全羅北道の有形文化遺産に指定されている「寒碧堂(ハンビョクタン)」は、1404年に朝鮮開国の功臣・崔湛(チェダム)の別荘として建てられた楼閣です。
僧岩山の山麓の断崖にあるため絶景で、特に目の前を流れる全州川とは絶妙のバランスをなしています。かつて多くの文人がここを訪れインスピレーションを得たことから、寒碧晴煙(寒碧堂から眺める霧が美しいという意)といわれ、全州八景のひとつに数えられています。

屏山書院[ユネスコ世界遺産](병산서원 [유네스코 세계유산])

15654     2024-05-23

キョンサンブク道アンドン市プンチョン面ピョンサンギル386

元々、屏山書院(ピョンサンソウォン)は、安東地域の古の地名・豊山県(プンサンヒョン)にあった豊岳書堂(プンアクソダン)と呼ばれていた建物で、高麗時代より儒林(儒学者)の教育機関として使われていました。1572年に朝鮮時代の文臣・西厓(ソエ)柳成龍(ユ・ソンニョン)先生が現在の屏山へ移築しました。1607年に柳成龍先生が他界すると、鄭経世(チョン・ギョンセ)などの地元の儒林らが公議を行い、柳成龍先生の学問や徳行を称えて1613年に尊徳祠(チョンドクサ)を創建、位牌を祀り、その翌年の1614年に屏山書院に改称しました。1620年に儒林らの公論により、退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)先生を祀る盧江書院(ヨガンソウォン)へ位牌を移しました。その後、1629年に別の位牌を準備し、尊徳祠に祀り、三男の柳袗(ユ・ジン)を新たに配享(合祀)しました。1863年に王より扁額が下賜され、賜額書院へ格上げとなりました。 屏山書院は先賢の配享や地元での教育の一端を担い、多くの学者を輩出、1868年に興宣大院君(フンソンテウォングン)による書院撤廃令が下った際にもその対象から外され、保護されました。日帝強占期には大掛かりな補修工事が行われ、講堂は1921年、祠堂は1937年にそれぞれ再建されました。
毎年3月中旬ごろの中丁(チュンジョン)と9月の中丁の時期には郷射礼(ヒャンサレ)を執り行っています。
屏山書院は史跡に指定されており、屏山書院には柳成龍先生の文集をはじめ、約1,000種の各種文献が約3,000冊所蔵されています。

安東河回村[ユネスコ世界遺産](안동 하회마을 [유네스코 세계유산])

78157     2024-05-23

キョンサンブク道アンドン市プンチョン面ハフェジョンガギル2-1
+82-54-852-3588

洛東江(ナクトンガン)が村を取り囲むように流れる安東河回村(アンドンハフェマウル)は、豊山(プンサン)柳氏(リュシ)一族が代々暮らしてきた集姓村で、韓国伝統家屋の美が息づく集落です。村の中心部には柳氏の家である大きな瓦屋が位置しており、原型がよく保存された藁葺きの家がそのまわりを取り囲んでいます。朝鮮時代の大儒学者である謙菴・柳雲龍先生と西厓・柳成龍先生が生まれたところでもある河回村は1999年に英国女王・エリザベス2世が訪問したことでマスコミを通じ世界的に報道され注目されました。村では河回別神グッ仮面劇を常設公演しており、秋には安東国際仮面舞フェスティバルが開催されています。
また、周辺には新羅時代に創建された鳳停寺(ポンジョンサ)をはじめ、高山書院(コサンソウォン)、帰来亭(キィレジョン)、鶏鳴山(ケミョンサン)自然休養林、鶴駕山(ハッカサン)自然休養林、臥龍山(ワリョンサン)など、様々な見所があります。
河回村を代表するグルメとして安東焼酎(アンドンソジュ)、祭祀料理のホッチェサパプ、安東塩鯖、地元の名物麺料理・安東ククシなどがあります。
2010年には安東河回村と慶州(キョンジュ)良洞村(ヤンドンマウル)が「韓国の歴史村」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。

芙蓉台(부용대)

芙蓉台(부용대)

29016     2024-05-23

キョンサンブク道アンドン市プンチョン面クァンドクソルバッギル72

「芙蓉台(プヨンデ)」は太白山脈の端に位置しており、頂上から安東河回村を一望できる観光名所のひとつです。芙蓉台という名は中国の故事からとったもので芙蓉はハスの花を意味しています。河回村が形成された姿がハスの花のようであることに由来しており、河回村をもっともよく眺められることから芙蓉台と名付けられました。当初は「河回の北にある丘」という意味で「プエ(北厓)」と呼ばれていました。下には洛東江が曲がって流れるところに玉淵精舎、謙庵精舎、花川書院が構えています。

儒教ランド(유교랜드)

5552     2024-05-22

キョンサンブク道アンドン市クァングァンダンジロ346-30

安東文化観光団地にある「儒教ランド」は韓国の精神文化の基である儒教文化をストリーテーリングしたテーマパーク型展示体験センターです。幼稚園、小中高校生の団体や家族単位の観光客たちが体験と遊びを通して楽しみながら自由に学ぶことができる施設で、難しい儒教を簡単に楽しく理解することができます。

安東民俗村(안동민속촌)

安東民俗村(안동민속촌)

23349     2024-05-22

キョンサンブク道アンドン市ソンゴク洞

安東(アンドン)ダムの補助ダムのそばから川の向かい側を望むと丘の上に安東民俗村が見えます。ここは安東ダムの造成によって水没した地域にあった家屋を数軒移築して作られたもので、村の入口には村の守り神である二つの大きなチャンスンが立っています。その先には地元が生んだ詩人であり独立運動家であった李陸史(イ・ユクサ)先生の詩碑があります。詩碑には代表作である「曠野」の詩が刻まれています。

洛江ムルギル公園(낙강물길공원)

0     2024-05-22

キョンサンブク道アンドン市サンア洞423

安東ダム水力発電所入口左側に位置する洛江(ナッカン)ムルギル公園は、周辺の水資源環境と調和した森の道や庭園を設け、探訪客に安らぎの空間を提供することを目的つくられました。小さな池を挟んでメタセコイアやモミの木が育ち、池にかかる石橋、小道が異国のような風景を演出していることから韓国のジヴェルニーと呼ばれます。木の下にはベンチが置かれ、安東市民はもちろん旅行客にも愛される憩いの場となっており、また、あちこちに隠れているフォトスポットで写真を撮ると、まるでモネになったような錯覚を覚えます。その他、安東ダムまでの散策路や月映公園まで続く水辺デッキがあり散歩コースにも最適です。

月映橋(월영교)

25705     2024-05-22

キョンサンブク道アンドン市サンア洞
+82-54-852-6800

慶尚北道安東市象牙洞と城谷洞をつなぐ安東湖にかけられた橋である「月映橋(ウォリョンギョ)」は2003年に開通しました。長さ387メートル、幅3.6メートルの木柵人道橋で、橋の真ん中には月映亭があります。

陶山書院[ユネスコ世界遺産](도산서원 [유네스코 세계유산])

20954     2024-05-22

キョンサンブク道アンドン市トサン面トサンソウォンギル154

陶山書院(トサンソウォン)の建物群は、建築的観点から見ると、陶山書堂(トサンソダン)と陶山書院の建物に分けることができます。陶山書堂は、朝鮮時代中期の著名な儒学者・退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)先生自らこの場所に住み、弟子らに教えを施したところです。一方、陶山書院の方は李滉先生が亡くなった後建てられ、追加で建てられた祠堂や書院の建物群を指します。

陶山書堂は1561年、李滉先生がこの地に戻った後、学問の研究と後進養成のため建てられた建物です。この建物は陶山書院の中でもっとも古い建物で、李滉先生自ら設計したものといわれています。当時、儒生らの寄宿舎の役割を果たした隴雲精舍(ノンウンジョンサ)や陶山書堂を管理する人が暮らす下庫直舎(ハゴジクサ)も同時に建てられました。

これに対して陶山書院は李滉先生が亡くなった6年後の1576年に完工しました。1570年に李滉先生がこの世を去ると、1572年、李滉先生の位牌を尚徳祠(サンドクサ・宝物)に祀ることにしました。その2年後、地元の儒林(儒学者)の公議により祠堂を建て位牌を奉安、典教堂(チョンギョダン・宝物)や東斎(トンジェ)・西斎(ソジェ)の建物を造り、書院としての形ができました。

1575年には朝鮮時代の書家・韓石峰(ハン・ソッポン)が書した「陶山書院」の扁額を王より賜り、賜額書院として現在の慶尚道・嶺南(ヨンナム)地域の儒学の総本山となりました。1615年、士林(儒学者)らが朝鮮時代中期の文臣・趙穆(チョ・モク)を新たに祀りました。1792年、朝鮮王朝第22代の王・正祖(チョンジョ)が致祭(チジェ=王が祭物や祭文を贈り祭祀を行うこと)を行うこととし、陶山別科を新設しました。続いて1796年には試士壇(シサダン)を、1819年には蔵書庫・東光明室(トングァンミョンシル)を建立しました。

1870年に行われた興宣大院君(フンソンデウォングン)による書院撤廃令では、陶山書院は撤廃令の対象外となり廃止を免れました。1930年には西光明室(ソグァンミョンシル)を増築し、1932年には下庫直舎を移築しました。1969年には陶山書院を中心に林野及び田畑19筆324,945平方メートルを含む地域が史跡に指定されました。1970年からは大統領令により補修・増築事業を進め、韓国の儒学思想の精神的な故郷として聖域化されるに至りました。1977年には陶山書院管理事務所が設置され、管理運営条例を制定・公布、今日に至っています。