京畿 富川市(경기 부천시)

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説明

京畿道中西部に位置する富川市は、北東はソウル特別市、西は仁川広域市、南は始興市に接しています。甘くて大きい桃の生産地として知られるこの場所は、1970年代後半から、ソウルの衛星都市として発展してきました。 面積53.4㎢、人口855,051人(2015年1月)、3区37洞、市役所所在地は中洞。

*自然環境
南東部がやや高く、北西部がやや低くなった地形で、中南部の遠美山、南部の聖柱山、ハルミ山など、標高200mほどのなだらかな山並みが広がります。北部や西部には掘浦川や素砂川などの支流が流れ、中洞や梧亭洞で合流し、漢江に流れ込むため、その流域には広い平野が形成されています。

*歴史
古代-他の市や郡とは異なり、昔から行政機関のあった地域ではなく、小さな部落乃至は面レベルの地域が発展してきた場所で、これといった歴史的な足跡がない地域の1つです。 富平は、高句麗時代に主夫吐(チュブトグン)郡と称され、757年(景徳王16年)に長堤(チャンジェ)郡へ改称、漢州(ハンジュ)に属するようになります。
高麗時代-940年(太祖23年)水州(スジュ)へ改称、1150年(毅宗4年)安南(アンナム)都護府へ昇格し、1215年(高宗2年)には桂陽(ケヤン)都護府へと名称を改めました。1308年(忠烈王34年)、吉州牧(キルチュモク)へと昇格しました。
朝鮮時代-1413年(太祖13年)富平都護府へ改称
近代-1895年、郡へと降格し、仁川部に所属、1896年、京畿道に転属。1914年いくつもの地域を合併し、富川郡を新設。この時から富川という名前が使われるようになりました。この名称は富平と仁川を合わせて名づけられた地名です。石川面、水呑面、玉山面が富川郡が新設されることで統合し、桂南面となり、1931年、桂南面が素砂面へと改称され、1941年には素砂邑へと昇格します。
現代-1973年代に素砂邑一帯を中心に富川市が新設され、富川郡にあった蘇萊(ソレ)面は始興郡へ、梧井(オジョン)面、桂陽(ケヤン)面は金浦郡へ、大阜(テブ)面、永宗(ヨンジョン)面、北島(プット)面、龍流(ヨンユ)面はそれぞれ甕津(オンジン)郡へ編入しました。1973年には市へ昇格しました。

*文化
民俗-石川面一帯で行われるコドゥマリ農楽。毎年除草作業が行われる頃に始まり、旧暦の7月15日にあたる中元まで続けられます。松内(ソンネ)洞周辺の村、上洞、中洞、九山洞(仁川広域市編入)一帯では昔から農機具が作られてきました。その中でも、一番最初に作った村が上座を制するとし、別名「上座取りゲーム」とも呼ばれています。
まず、去年の敗者と勝者が一列に並び、敗者が勝者の作った農機具に一礼することから始まります。勝者はこれを受け、リズムに乗りながら喜びます。その後、お互いのパワーとパワーをぶつけ合う農楽ノリが行われます。

洞祭-5月の端午または極月(12月の異称)に行われるチャンマルトダングッ。これは松内洞のチャンマルという場所で行われた部落グッ(祈祷の儀式)で、都堂グッまたはコチャングッとも言われています。漢江以南の安山、水原、鳥山、平沢、金浦、始興、素砂などの都堂グッにも流派が近く、チャンマルという名称は、徳水(トクス)張(チャン)氏の一族が住んでいたことから付けられました。村の入口には祖父堂があり、村の中央にある神木の下には祖母堂が置かれています。


ホームページ

富川市庁 http://www.bucheon.go.kr(日本語)


ご利用案内

お問い合わせおよびご案内 : 富川市庁 +82-32-320-3000


位置

京畿道 富川市