仰城炭酸温泉(앙성탄산온천) - エリア情報 - 韓国旅行情報

仰城炭酸温泉(앙성탄산온천)

仰城炭酸温泉(앙성탄산온천)

0m    20383     2021-05-27

忠清北道 忠州市 仰城面 加谷路1457

仰城(アンソン)炭酸温泉の温泉水は地下700メートルから湧出しており、高・低血圧、糖尿病、関節炎、神経痛、うつ病、成人病を予防し、運動不足の肥満症、肩こり、腰痛、冷え性、便秘、痔を予防するのに効果があります。また、炭酸温泉水は心身のストレスを解消し、新陳代謝促進および血のめぐりをよくし、過敏性皮膚、しみ、そばかす、水虫、湿疹、老人性色素斑などの治療にもよいとされています。
温泉水は水温が25~38度と低めなので、熱めの湯を張った浴槽も別に用意されています。健康増進はもちろん、精神的安定にも大きな効き目があるという炭酸水浴は、肌を滑らかにしてくれ、疲労回復に効果があります。また、仰城炭酸温泉はクヌギを燃料としたクヌギ薪ボイラーを使用してチムジルバンや水を温めています。

仰城炭酸温泉地区について

京畿道長湖院とつながっている忠州市仰城面敦山里と陵岩里一帯には、大規模な炭酸水温泉タウンが形成されています。仰城温泉には「忠温(チュンオン)温泉地区」「陵岩(ヌンアム)温泉地区」「敦山(トンサン)温泉地区」の3つの温泉地区があります。1989年に忠温温泉地区と陵岩温泉地区が観光地に指定され、1995年に敦山温泉地区が観光地に指定されました。

ジャンクアートギャラリー(オデホアートファクトリー)(정크아트갤러리(오대호 아트팩토리))

ジャンクアートギャラリー(オデホアートファクトリー)(정크아트갤러리(오대호 아트팩토리))

238.94730080156884m    29860     2024-02-26

チュンチョンブク道チュンジュ市アンソン面カゴクロ1434

産業廃棄物を使ってロボットなどの作品を制作・展示するテーマパークです。韓国ジャンクアーティスト第1号、オ・デホ氏の作品約1,300点が展示されています。機械の原理を理解し、環境の大切さを学ぶことができます。アートボット作り体験もできます。毎週土曜日と日曜日の11時、14時にはマジックショーが行われます。

ピネ島(ピネ道)(비내섬(비내길))

1.9 Km    0     2023-12-27

チュンチョンブク道チュンジュ市アンソン面ナムハンガンビョンギル44

村人が果樹園へ行くのに通った農路と川へ水浴びをしに行くのに通った小道をそのままつないだ道です。南漢江の豊かな風景とピネ島の秋の情景が楽しめ、傾斜がとてもなだらかなので家族連れの探訪にも最適です。ピネ道は2つの区間に分かれており、第1区間は渡り鳥展望公園を過ぎて同区間のハイライトである川辺の道を通り、旧チョデ渡し場を経由して仰城温泉広場に戻る7キロメートルのコースで、所要時間は約2時間。第2区間はセバジ山展望台を越えてピネ島を探訪し、旧チョデ渡し場からは第1区間と逆方向に歩くことになります。川辺の道と渡り鳥展望公園を過ぎて起点の仰城温泉広場まで戻ってくる17キロメートルのコースで、所要時間は約4時間。ドラマ『愛の不時着』でヒロインが北韓を去る前に主人公2人とその仲間たちがピクニックをしながら友情を育むシーンが撮影された場所でもあります。

青龍寺址(청룡사지)

5.7 Km    31595     2022-08-17

チュンチョンブク道チュンジュ市ソテ面チョンニョンサジギル147

高麗末期、清渓山の中腹に小さな庵がありましたが、李太祖の師父・普覚国師が隠居するにあたり太祖が大寺院を建てたといいます。今は廃墟となり、近くには普覚国師の浮屠塔である定慧円融塔と石燈、定慧円融塔碑などが残っています。その他、近くに近来建てられた青龍寺があり、多くの仏教文化財が各所に残っています。

忠州弾琴湖虹道(충주 탄금호 무지개길)

10.5 Km    0     2024-02-22

チュンチョンブク道チュンジュ市チュンアンタプ面ルアム里

忠州(チュンジュ)弾琴湖(タングムホ)虹道(ムジゲギル)は、2013年世界ボート選手権のとき、試合を撮影するために造られた浮体橋で、現在は散歩や自転車が走行するための道路として利用されており、夜になると色とりどりにライトアップされます。区間ごとに異なる色の照明が点灯され、音楽を楽しむことができ、フォトスポットや文化公演、スタンプツアーなどのプログラムが行われています。

中央塔公園(忠州)(중앙탑공원(충주))

中央塔公園(忠州)(중앙탑공원(충주))

10.5 Km    31951     2022-09-13

チュンチョンブク道チュンジュ市タプジョンアンギル6

忠州塔坪里七層石塔のある市民公園、中央塔史跡公園
国宝である忠州塔坪里七層石塔は、南漢江の美しい景観と調和した統一新羅時代の石塔で、その当時に建てられた石塔の中でもっとも規模が大きく、韓国の中央部に位置することから中央塔と呼ばれています。中央塔周辺に設けられた彫刻公園は忠清北道最大の野外彫刻公園で、「文化財と湖畔芸術の出会い」というテーマで韓国の彫刻家の作品26点が展示されています。

忠州市民の憩いの場、中央塔史跡公園
史跡公園には、市民の公園として彫刻物や散策路、忠州博物館や野外博物館、音楽噴水、中央塔、簡易噴水などがあります。このような施設を基に中央塔史跡公園は忠州市民の憩いの場、子どもの学び場として発展しました。また、中央塔公園の北側には忠州調整池ダムがあります。

ウェハルモニジプ本店(외할머니집 본점)

ウェハルモニジプ本店(외할머니집 본점)

11.8 Km    26498     2024-02-26

チュンチョンブク道ウムソン郡カムゴク面カゴクロ230

韓国の伝統料理である豆腐料理とチョングクチャンを扱う韓国料理店です。韓国産大豆を使用して毎朝豆腐を作っています。昔、韓国の田舎でよく食べられていたチョングクチャンが看板メニューです。豆腐料理と濁り酒(マッコリに似た韓国の伝統酒)もあります。特に、だし汁に手作り豆腐と野菜、生エビを入れて煮た豆腐の寄せ鍋が美味しいことで有名です。

原州法泉寺址(원주 법천사지)

原州法泉寺址(원주 법천사지)

13.0 Km    23197     2021-03-09

江原道 原州市 富論面
+82-33-733-1330

* 周囲に数多くの文化財が残る廃寺跡、法泉寺址 *
法泉寺址(ポプチョンサジ)は江原道(カンウォンド)原州市(ウォンジュシ)富論面(プロンミョン)の山の麓にあった法泉寺の跡地です。
1982年11月3日、江原道記念物第48号に指定され、その後の2005年8月31日には国家指定文化財史跡第466号に指定されました。跡地の敷地面積は7万1,338平方メートルほどあります。
寺址には法堂(本堂)などの建造物は現存しておらず、石造物で高麗宣宗2(1085)年に建立された高さ5.54mの法泉寺智光国師玄妙塔碑(国宝第59号)1基と法泉寺址幢竿支柱(江原道文化財資料第20号)、現在景福宮の敷地内にある智光国師玄妙塔(国宝第104号)、このほかにも多くの文化財、破仏などが残されています。
古の時代に法泉寺の境内だったと思われる周辺一帯には民家が立ち並び、大部分は農耕地に変わり、場所によっては村の民家の敷地内に長台石の石築を見ることができます。

創建年代は不明ですが、統一新羅時代に建立され高麗時代に大きく隆盛した寺院で、高麗時代中期の仏教の二大宗派であった法相宗と華厳宗のうち法相宗(唯識宗)系の寺院でした。
特にこの寺は智光国師(チグァンククサ)海麟(ヘリン=984~1070年)が若いときに修学し晩年、入寂したところで、その時が寺の全盛期であったと思われます。
また朝鮮時代初期の学者・泰斎(テジェ)柳方善(ユ・バンソン)が法泉寺で講学したということで、多くの人々が学びを請おうと集まったといわれ、権擥(クォン・ラム)、 韓明澮(ハン・ミョンフェ)、康孝文(カン・ヒョムン)、徐居正(ソ・ゴジョン)などの学者がこの寺に集まり、詩を詠み詩文を残したといわれています。


* 原州法泉寺址智光国師塔碑について *

法泉寺址にあった浮屠塔・智光国師玄妙塔(国宝第104号)は高麗時代の僧侶・智光国師(チグァンククサ)海麟(ヘリン=984~1070年)を称えるため建立されたものです。
智光国師玄妙塔は日帝強占期(1910~1945年)に日本の大阪に知らぬ間に奪われ搬出されましたが、その後返還され、現在はソウルの景福宮(キョンボックン)の敷地内に置かれています。
また、史跡第466号・法泉寺址にあり高麗宣宗2(1085)年に建てられた高さ5.54mの法泉寺智光国師玄妙塔碑(国宝第59号)は高麗時代の石碑として特徴的な様式の傑作で、彫刻もまた精巧なものとなっています。
石碑の台石となっている亀趺(キィブ)は大きな址台石の上に置かれ、下の方には雲の模様が装飾されています。

甘谷玫瑰聖母巡礼地聖堂(감곡매괴성모순례지성당)

甘谷玫瑰聖母巡礼地聖堂(감곡매괴성모순례지성당)

14.2 Km    26577     2021-08-02

忠清北道 陰城郡 甘谷面 聖堂キル10

甘谷本堂は1896年に設立された100年以上の歴史がある場所です。初代イム・ガミルロ神父はパリ外邦伝教会の所属で1893年に敍品後、すぐに入国してその翌年である1894年に最初の本堂として神学堂があった由緒正しい驪州の教友村、プオンゴルに赴任されました。しかし本堂の司牧地が北側にあるということだけではなく、山地部落に続いており本堂を移転しようとしていたところ、司牧を訪問中、驪州を過ぎて長湖院に至った時に山のふもとに大宮殿のような家を見て、ここが本堂の司牧地として最も適していると直感しました。その後すぐにカミルロ神父は「聖母様、万が一、あの大宮殿のような家と山を私の所有にしてくださるのなら、私はあなたの卑賤の身となりましょう。そしてその従母が玫瑰聖母様となるでしょう」とお祈りをし、ブオンゴルに戻って玫瑰聖母様に願いました。当時、大宮殿のような家は明成皇后の又従兄弟である閔應植の家であり、1882年に壬午軍乱の時に明成皇后が非難した場所でもあります。1896年5月の聖母聖月に、すべての家の敷地と山を購入、玫瑰聖月である10月7日に本堂の設立に至りました。結局、ガミルロ神父が最初にお祈りをした通り、甘谷本堂を聖母に奉献し、ここが「甘谷玫瑰聖母巡礼地聖堂(カムゴクメグェスンレジソンダン)」となりました。

玫瑰博物館(매괴박물관)

玫瑰博物館(매괴박물관)

14.2 Km    25269     2019-03-20

忠清北道 陰城郡 甘谷面 聖堂キル10
+82-43-881-2808

「玫瑰博物館(メグェバンムルグァン)」は甘谷聖堂内にあります。100年以上の長い歴史を誇る聖堂として、文化財に指定された大聖堂をはじめ、中部地方初の石造建物である司祭館など、多くの歴史的な史跡および貴重なカトリック遺物があるものの、放置された状態でした。100周年を記念して歴史的な遺物を整理するとともに、現在は後世に残すため、また甘谷聖堂を訪れる人々に公開して教育の場として活用されています。