鍵展望台(열쇠전망대) - エリア情報 - 韓国旅行情報

鍵展望台(열쇠전망대)

鍵展望台(열쇠전망대)

0m    27495     2022-09-07

キョンギ道ヨンチョン郡シンソ面トンネロ1375-1

「統一の鍵」になるという意を込めて名付けられた鍵(ヨルセ)展望台は、安保教育の実践と北韓地域出身の人々の望郷の念を慰めるため、北の大地を一望できる地域・京畿道(キョンギド)漣川郡(ヨンチョングン)新西面(シンソミョン)畓谷里(タプコンニ)に陸軍鍵部隊が1998年4月11日に開設、一般向けにオープンした展望施設です。
施設を管理する軍人による身分確認の手続きを終えると、展望台へと続くバリケードが取り除かれ、展望台に上がることができます。展望台に上ると、青い新緑が生い茂る北の大地が一望できますが、ここからの写真撮影は禁止されています。

鍵展望台内にある展示室には北韓の生活用品や軍事装備品が展示されており、北韓の暮らしぶりを垣間見ることができます。展望台のそばには教会、聖堂、法堂など平和統一を祈願できる各宗教施設があります。
鍵展望台は南方限界線のすぐ手前にあり、南北分断の痛みを、どこよりも実感できる場所です。

安保問題に関心が希薄となった若い世代に統一に対する意志や平和の大切さを再認識させてくれる重要な存在となっている鍵展望台。鉄条網の手前にある柵にはここを訪れる人々が統一への願いを書き込んだリボンが結びつけられており、風が吹くたびたなびいています。

高台山(고대산)

高台山(고대산)

4.7 Km    51079     2021-02-17

京畿道 漣川郡 新西面 平和路3282-108
+82-31-839-2061

「高台山(コデサン/832メートル)」は生態系が大切に保存された地域であり、韓国国内で唯一登山により北方の地を眺めることができる山です。
古くから広範な山の麓とうっそうとした山林によって、林産資源が豊富なだけでなく、木材と炭を作るのにも適したところと言われています。韓国戦争(朝鮮戦争)以前には堅炭が有名な地方として広く知られていました。
また、1907年11月臨津江で義兵を討伐しに派遣された日本軍に敗戦した後、再び日本軍隊と激しく交戦したところとしても知られ韓国国民の精気が渦巻いている所でもあります。

新炭里駅(신탄리역)

新炭里駅(신탄리역)

6.4 Km    92     2020-09-08

京畿道 漣川郡 新西面 高台山キル4

「新炭里(シンタンニ)駅」は京元線の大光里駅と白馬高地駅との間にある駅で、1913年7月10日から営業を開始しました。1945年から一時、北韓に所属していましたが、1951年に再び韓国側に所属が変更されました。1971年に鉄道中断点の表示板が設置されました。以前は韓国側最北端の終着駅でしたが、2012年11月20日に延長されて白馬高地駅が開通したことから大光里駅と白馬高地駅との間に位置しています。KORAIL首都圏東部本部所属で、京畿道漣川郡新西面高台山キル4(大光里169-2)にあり、近くには高台山があります。

橋洞カマソ(漢灘江国家地質公園)(교동 가마소 (한탄강 국가지질공원))

橋洞カマソ(漢灘江国家地質公園)(교동 가마소 (한탄강 국가지질공원))

8.4 Km    40     2020-08-12

京畿道 抱川市 官仁面 中里

大釜をひっくり返したような形から名付いた橋洞(キョドン)カマソ(釜沼)。
この橋洞カマソの地質・地形的特徴のひとつに、溶岩が固まる過程で溶岩内部からガスが抜けたときにできる気孔の跡があります。
橋洞カマソの玄武岩にはこのような跡が数多く見受けられます。 一つの溶岩の塊の中で、内部は塊状の溶岩、表面は溶岩ガスの気孔が至る所に残っているのを観察できます。
この他、地形的観点から橋洞カマソを観察すると、玄武岩の浸食面から川の流れの方向を知ることもでき、過去、川がどの方向へ流れていたのかを類推することができます。 <出典:漢灘江地質公園>

漣川駅給水塔(연천역 급수탑)

漣川駅給水塔(연천역 급수탑)

8.6 Km    22937     2018-04-24

京畿道 漣川郡 漣川邑 漣川路 273-7

漣川(ヨンチョン)駅給水塔は1919年仁川~元山(ウォンサン)間の中間地点に作られた鉄道給水塔で、蒸気機関車に水を供給していた施設です。
蒸気機関車と給水塔は1899年9月ソウル~仁川間の京仁線(キョンインソン)が開通し始めて登場し、交通手段としての機能を果たしてきましたが、1950年代にディーゼル機関車が導入されると、次第に消えていく運命となりました。

日帝強占期に建てられた漣川駅の駅施設物は韓国戦争時に爆撃を受け、ほとんど廃墟となりましたが、給水塔だけは原型を留め残っています。給水塔ができた当時には機関車の後ろに連結された炭水車に水を補給する間、人々が物々交換など商取引が活発で市場の役割もこの駅で果たしていたとのことです。

1950年6月25日に勃発した韓国戦争以前ここは北韓の最南端地域で京元線を利用して運ばれた北韓の軍事物資が大量に積み下ろしされていました。そのため白い色をしたこの給水塔を目がけアメリカ軍の爆撃が行なわれ、いまでも給水塔には弾痕が鮮明に残っています。

漣川駅給水塔は江原道道渓駅給水塔、秋風嶺駅給水塔、忠清南道連山駅給水塔、慶尚北道安東駅給水塔、永川駅給水塔、慶尚南道三浪津駅給水塔と共に鉄道の歴史の理解と近代交通史研究のための主な遺産として認定を受け、2003年1月、登録文化財に指定されました。

深源寺鉄原(심원사 철원)

深源寺鉄原(심원사 철원)

9.4 Km    28648     2024-03-20

カンウォン特別自治道チョルォン郡トンソン邑サンノ1ギル58

深源寺鉄原(シムォンサ・チョルォン)は、生地蔵菩薩の聖地として知られる千年の歴史をもつ古刹。境内には大雄殿と冥府殿、三聖閣など様々な建物があります。中でも冥府殿には宝物として指定された地蔵菩薩が安置されています。熱心に祈れば願い事が1つは叶うとされ、ご利益を求めて参拝者が後を絶ちません。

ピドゥルギナン瀑布(漢灘江地質公園)(비둘기낭 폭포(한탄강 국가지질공원))

ピドゥルギナン瀑布(漢灘江地質公園)(비둘기낭 폭포(한탄강 국가지질공원))

10.6 Km    744     2021-05-20

京畿道 抱川市 永北面 大回山里

ピドゥルギナン瀑布は京畿道(キョンギド)抱川市(ポチョンシ)永北面(ヨンブクミョン)大回山里(テフェサンリ)にある玄武岩浸食峡谷で、仏舞山(プルムサン)を水源とする仏舞川(プルムチョン)の下流域にあります。周辺の地形が「ピドゥルギ=鳩」の巣のようにぽこっと凹んだ「ナン(嚢)=袋」のような形をしているということからピドゥルギナン瀑布と呼ばれています。また別の言い伝えでは昔からカワラバトがこの滝の近くの洞窟に棲息していたことからピドゥルギナンと呼ばれていたという説もあります。
韓国戦争当時この辺りは草木が生い茂り、地元の人しか知らないような土地で、村人たちが戦火を逃れるため利用したり、軍人が休養する場所などにも使われました。2012年ピドゥルギナン瀑布は天然記念物第537号に指定され、以降、その美しい秘境の姿は多くの観光客に知れ渡ることとなりました。
ピドゥルギナン瀑布は地質・地形学的観点からみると河食洞窟、峡谷、頭部浸食、滝壺など河川による浸食地形を観察することができ、合わせて柱状節理、板状節理などさまざまな地質構造も見ることができます。また、漢灘江(ハンタンガン)に流れ出た溶岩の塊も見られ、学術的にも価値がある場所といえます。

出典:漢灘江地質公園

朝鮮王家(農業会社法人朝鮮王家株式会社)[韓国観光品質認証](조선왕가(농업회사법인 조선왕가 주식회사)[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

朝鮮王家(農業会社法人朝鮮王家株式会社)[韓国観光品質認証](조선왕가(농업회사법인 조선왕가 주식회사)[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

10.8 Km    1058     2023-08-02

キョンギド ヨンチョングン ヒョンムンロ 339-10
+82-31-834-8383

「朝鮮王家」は、ソウルの鐘路区の明倫洞にあった高宗皇帝の令孫の李芹の古宅を、京畿道の漣川に移転して建てたホテルであります。韓国の伝統の王室韓屋で宿泊しながら、王室文化を体験できます。韓屋の客室は計15室で、各客室ごとにバスルームを備えていて、茶道セットを無料で提供しています。燻浴セラピーと韓方石鹸作りなどの体験プログラムを運営し、事前予約時に有料朝食を提供します。伝統婚礼やワークショップなどのための場所のレンタルが可能であります。グランピング場を利用時に、バーベキュー場の使用が可能で、団体ワークショップの行事時に、キャンプファイヤーの利用も可能であります。

金剛山電気鉄道橋梁(금강산전기철도교량)

金剛山電気鉄道橋梁(금강산전기철도교량)

11.5 Km    2567     2022-09-15

江原道 鉄原郡 金化邑 道昌里
+82-33-450-5683

金剛山(クムガンサン)電気鉄道はソウルと元山(ウォンサン)を結ぶ京元(キョンウォン)線の主要駅であった鉄原(チョロン)駅から終着駅の内金剛(ネクムガン)駅までの総延長116.6kmの路線で1931年に全線開通、当時、金剛山まで4時間半かかりました。

元々、日帝は昌道(チャンド)の豊富な地下資源である硫化鉄を興南(フンナム)経由で日本へ搬出するため、住民を強制労力動員したり中国人を雇用したりして第1期工事(鉄原~金化間・1924年8月1日開通)、第2期工事(金化~内金剛・1931年7月1日開通)と分け線路を付設、当時としは珍しい全線電化の鉄道(開業直後は発注済みの発電機が関東大震災で消失、暫定措置として蒸気機関車で営業開始)で、金剛山観光と資源輸送の双方の役割を果たしました。
この鉄道は1日8便運行していましたが、内金剛までの料金は当時の米1俵に当たる7円56銭と一般人には手も出ない高さだったといいます。金剛山電気鉄道は日帝強占期、鉄原東部地域と金化(キムファ)地域の学生の通学にも利用され、また金剛山へ修学旅行に行くことも多かったといいます。
現在は安保見学のコースとして人気が高く、民間人統制線内に位置していることから韓国軍の出入承認と引率者の同行が必要となっています。関連問合せ事項は白馬高原駅案内所(+82-33-450-5683)またはKORAIL(+82-2-913-1788)へお問合せください。

鉄原労働党舎(철원 노동당사)

鉄原労働党舎(철원 노동당사)

12.2 Km    19546     2023-03-07

カンウォン道チョルォン郡チョルォン邑クムガンサンロ265

労働党舎(ノドンダンサ)は1946年に完成した3階建ての建物で、韓国戦争(1950~53年・休戦)が勃発する前まで北韓の労働党舎として利用された建物です。韓国戦争の時に大きな被害を被り、建物全体が黒くなり砲弾や弾丸の痕が建物のいたるところに残っています。このような姿が韓国戦争や韓国分断の現実を思い起こさせることから、有名歌手のミュージックビデオのロケ地や有名な音楽コンサート会場になったこともあります。現在、鉄原労働党舎は鉄原郡の安保観光コースに組み込まれており、数多くの観光客が訪れています。また、2001年2月には近代文化遺産に登録され、韓国政府の支援を受け建物の保存に当たっています。