益山 王宮里五重石塔(익산 왕궁리 오층석탑) - エリア情報 - 韓国旅行情報

益山 王宮里五重石塔(익산 왕궁리 오층석탑)

益山 王宮里五重石塔(익산 왕궁리 오층석탑)

0m    7824     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市ワングン面ワングン里

王宮里五重石塔は馬韓時代の都として知られる益山(イクサン)の王宮面から南に2キロメートルほど離れた丘に位置している石塔です。高さは約8.5メートルで、国宝に指定されています。この石塔から発見された高麗時代の遺物はすべて国宝に指定され、国立中央博物館に保管されています。発掘された遺物では「益山王宮里五重石塔舎利荘厳具」が有名で、蓮の花の蕾の形のふたがついた緑色のガラス製の舎利瓶や、金剛経の内容を19枚の金の板に刻み、たたんで2つの金の紐で結んだ純金金剛経板があります。

益山 王宮里遺跡 [ユネスコ世界遺産(文化遺産)](익산 왕궁리유적 [유네스코 세계유산])

益山 王宮里遺跡 [ユネスコ世界遺産(文化遺産)](익산 왕궁리유적 [유네스코 세계유산])

201.20505220240918m    13690     2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 王宮面 宮城路666

1989年から20年間、王宮里遺跡(ワングンニユジョク)の発掘調査を行った結果、百済武王の代に王宮として建築、使用された後に王宮の重要な建物は取り壊され、その場所に寺院が建てられたことが確認されました。王宮里遺跡では韓国の古代の王宮としては初めて王宮の外郭の塀が見つかりました。また王が政事を行っていた正殿など14の建物跡や、百済最高の庭園の遺跡、陶磁器を作っていた工房の跡などが発掘され、王宮の築造過程や王宮での生活を把握するためのよい資料となっています。

益山 古都里 石造如来立像(익산 고도리 석조여래입상)

益山 古都里 石造如来立像(익산 고도리 석조여래입상)

725.1909983313999m    6909     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市クンマ面トンゴド里

宝物に指定されている古都里(コドリ)石仏立像は、約200メートルの距離を置いて2体の石像が向かい合っています。この仏像には説話があり、陰暦12月になると年に一度だけ男女の仏像が出会い、明け方になって鶏が鳴くと元の位置に戻って行くといわれています。頭には四角の高い冠の上に平べったい四角の笠を被っています。四角の顔には細い目、短い鼻、小さな口がついており、土俗的な守護神の表情をしています。首は非常に短く、肩と顔がほぼくっついた形で、胴体には曲線はなく、腕は表現されず、手は腹部に描かれています。また、衣服には模様はなく、数本の線のみで描かれています。高麗時代には非常にシンプルに体を表現した巨大な仏像が多く作られており、この仏像もその一つです。

カフェ徳基(카페 덕기)

カフェ徳基(카페 덕기)

836.4277245916943m    0     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市トッキ1ギル104

カフェ徳基(トッキ)は、2022年にオープンした大型カフェで、100本以上の木があるバナナ温室が評判で、みかんの木も育てられています。自家栽培したみかんのジュースとバナナプリンがシグネチャーメニューで、エキゾチックな雰囲気のバナナ温室をはじめ、カフェ全体がフォトスポットとして広く知られています。

益山双陵(익산 쌍릉)

益山双陵(익산 쌍릉)

2.0 Km    8252     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市ソクァン洞

益山双陵(イクサンサンヌン)は全羅北道益山市に位置する墓で、史跡に指定されています。2基の墓が南北に約150メートルの間を空けて位置しており、双陵と呼ばれています。規模が大きく、北側にある陵は「末通大王陵」または「大王墓」と呼ばれており、少し小さめの陵は「小王墓」と呼ばれています。ここに葬られているのは百済の王であった武王とその妃である善花姫であると推測されています。

<双陵の規模>
発掘当時は高さ3.1メートルでしたが、現在は補修され、大王墓は高さ5メートル・直径30メートル、小王墓は高さ3.5メートル・直径24メートルとなっています。

薯童公園(서동공원)

薯童公園(서동공원)

3.1 Km    16318     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市クムマ面コド9ギル41-14

薯童(ソドン)公園は、金馬(クムマ)貯水池周辺に整備された公園です。公園には12支神像(12の動物)と薯童・善花(ソンファ)姫をテーマにした彫刻など100以上の作品があります。中央広場には武王(ムワン)の銅像があり、馬韓(マハン)体験館、子供森体験場、ピクニック場、噴水台、水辺広場などが整備されています。薯童と善花姫、武王は600年代に実存した歴史の人物です。

益山薯童祭り(익산 서동축제)

益山薯童祭り(익산 서동축제)

3.2 Km    7520     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市クンマ面コド9ギル41-14
+82-63-843-8817

益山薯童祭りは1400年前に益山で生まれた百済の薯童(武王)と敵国であった新羅の善花姫との国境を越えた愛をテーマにした歴史文化祭りで、1969年の馬韓民俗祭典から始まり、2004年に現在の名称に変更されました。

王宮茶園(왕궁다원)

王宮茶園(왕궁다원)

3.6 Km    0     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市ワングン面サゴクギル21-5

王宮(ワングン)茶園は、1800年代に建てられた韓屋カフェです。本来、この地域の富豪だった宋炳雨(ソン・ビョンウ)の家で、古い韓屋の趣を生かして2008年から伝統茶屋が営まれています。お茶の種類が豊富で、シグネチャーメニューは韓国の伝統飲料である双和茶です。双和茶にはナツメ、イチョウの実、栗などの材料が入っており、体を温める効能があります。

国立益山博物館(국립익산박물관)

国立益山博物館(국립익산박물관)

4.8 Km    9547     2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 金馬面 弥勒寺址路 362

「国立益山(イクサン)博物館」は三国時代最大の仏教寺院だった弥勒寺址(史跡)の西南に位置しています。弥勒寺址は1980年から1996年にわたって発掘が行われました。その発掘により収集された三国時代から朝鮮時代に至る約19,000点の文化遺産を保存・展示するため1997年全羅北道都立展示館として開館しました。2009年1月には弥勒寺址石塔(国宝)の解体補修過程で約1,100点の舍利荘厳具が出土しました。2015年7月には弥勒寺址がユネスコ世界文化遺産に登録されました。弥勒寺址と益山の歴史的価値を改めて見直す目的で2015年12月には国立弥勒寺址遺物展示館と名称を変更、続いて2019年2月には益山博物館と名称を変更しました。
歴史文化室と建築文化室では弥勒寺創建や変遷過程を物語るさまざまな所蔵品が展示されています。歴史文化室では舍利荘厳具をはじめ、仏教工芸品や時代別に寺院での暮らしぶりが分かる展示を行っています。建築文化室では百済最後の都があった泗沘(サビ/現在の扶余)の時代から朝鮮時代までの瓦など建築部材を展示しています。

益山弥勒寺址 [ユネスコ世界遺産(文化遺産)](익산 미륵사지 [유네스코 세계문화유산])

益山弥勒寺址 [ユネスコ世界遺産(文化遺産)](익산 미륵사지 [유네스코 세계문화유산])

4.9 Km    21731     2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 金馬面 弥勒寺址路362

百済最大の伽藍、弥勒寺址

百済最大の寺院である弥勒寺(ミルクサ)創建については「三国遺事」に詳しく記録されています。新羅の善花(ソノァ)王女と婚姻し、王になった武王(ムワン 百済第30代王 600~641)が善花王女とともに龍華山(ヨンファサン 現在の弥勒山)の獅子寺(サジャサ)の知命法師を訪ねて行く途中のことでした。突然、池の中から弥勒三尊が現れ、これを機に弥勒寺を創建することになったのです。三尊のために殿(金堂)、塔、廊(花郎) を建てたとされています。これとは別に弥勒寺の創建には武王と善花王女の信仰だけではなく政治的な目的があったとの見解もあります。つまり、百済の国力を拡張させるため馬韓勢力の中心であったこの場所、金馬に弥勒寺を建てたと推測されています。

百済最大の寺院である弥勒寺を建てるにあたり、当時の百済の建築・工芸など各種文化の最高水準が発揮されていることばかりでなく、新羅の真平王が百工(職人)を送ったと三国遺事に記録されています。これは当時、三国の技術が終結されたことを意味します。弥勒寺が百済仏教で弥勒信仰の求心点があったことははっきりしていて、新羅最大の寺院である皇龍寺が華岩思想の求心点であったことと対比されます。皇龍寺が一塔三金堂式で、弥勒寺は三塔三金堂式の寺院配置です。皇龍寺は王を頂点にした華岩思想、弥勒寺は弥勒思想を寺院に具現化しています。