百済香(백제향) - エリア情報 - 韓国旅行情報

百済香(백제향)

百済香(백제향)

1.975420230816554m    5588     2021-07-28

忠清南道 扶余郡 扶余邑 泗沘路30番キル17

忠清南道扶余郡扶余邑に位置する百済香は、蓮の花パンと伝統茶を販売しているカフェです。
宮南池へと向かう道にあり、このカフェを代表するメニューでもある扶余蓮の花パンは百済文化を象徴する蓮の花の形をしています。形だけが蓮の花であるだけではなく、無農薬栽培された蓮の花と葉を煮出した汁に蓮の葉の粉末ともち米粉、小麦粉を混ぜて作られています。蓮の花の香りが感じられるように、蓮の葉が開く前の午前8時に摘んで、冷凍保管したものを使用しています。この他に、蓮の葉シェイク、蓮の葉クッキーなど、蓮の葉で作った様々なデザートを味わうことができます。

扶余 定林寺址 五層石塔[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](부여 정림사지 오층석탑 [유네스코 세계유산])

扶余 定林寺址 五層石塔[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](부여 정림사지 오층석탑 [유네스코 세계유산])

487.01719687766166m    26975     2021-09-04

忠清南道 扶余郡 扶余邑 定林路83
+82-41-830-2880

「扶余(プヨ)定林寺(チョニムサ)」は6世紀の中頃に建てられ、百済が滅亡する時まで栄えていた寺です。境内には、定林寺址五層石塔が1400余年の月日を越え、素朴な美しさを大切に保っています。この定林寺址五層石塔は、益山の弥勒寺址石塔と共に百済の石塔様式を見せてくれる大切な遺物となっています。定林寺址で見ることができるもう一つの遺物は、高麗時代の定林寺址石仏坐像です。この仏像は高麗時代に定林寺を改築した際に、新しく造られたものです。坐台の上部分には蓮の花が刻まれており、また下の部分には蓮の花の模様が刻まれています。芸術性に非常に優れた作品と言えるでしょう。
また定林寺址前にある定林寺址博物館は、仏教文化館、定林寺址館、企画展示館があり、仏教と定林寺の歴史を紹介しています。

国立扶余博物館(국립부여박물관)

国立扶余博物館(국립부여박물관)

587.9449420554256m    15414     2023-12-26

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クムソンロ5

扶余(プヨ)市内の南東錦城山の麓にある「国立扶余博物館」は1929年財団法人「扶余古跡保存会」が発足し、百済の文化財や遺物を集めて扶蘇山の南に位置した朝鮮時代の官衙客舎に展示するようになったものが、そのはじまりです。1939年からは「朝鮮総督府博物館扶余分館」、その後「扶余博物館」と名称が変わり、1970年には扶蘇山南側の麓に新しい博物館を建て、扶余を含めた百済圏に散らばった百済文化遺物を中心に展示しました。1993年8月6日に現在の場所に移転・オープンし、面積61,429平方メートル、4つの展示室と野外遺物展示場に約1,000点の遺物を展示しています。
韓国の伝統様式を導入した八角形の建物の中庭を中心にし、常設展示室である先史室、歴史室、仏教美術室と野外展示室を配置しました。先史室には扶余地域を中心に忠清南道地域で出土した青銅器時代と鉄器時代の遺物、歴史室には泗沘時代の百済の遺物と三国時代の遺物、仏教美術室には泗沘時代の百済の仏教美術品、野外展示室には仏像や石塔などの彫刻作品が展示されています。

薯童公園と宮南池(서동공원과 궁남지)

薯童公園と宮南池(서동공원과 궁남지)

626.2799525696663m    23039     2023-10-13

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クンナムロ52

忠清南道扶余郡扶余邑東南里にある「宮南池(クンナムジ)」は、百済の武王が作った王宮の南側にある別宮に属している、韓国で最初に造られた人工池です。池の東側には百済時代の建造物の輪郭を知ることができる礎石が残っており、百済時代当時の瓦が多数出土しています。その近くには、大理石が積み上げられた八角形の井戸がありますが、百済時代から現在まで、未だに飲料水として利用されています。宮南池は百済の庭園様式を研究するにあたって、とても重要な資料となっています。日本の歴史書『日本書紀』には、宮南池の造形技術が日本の造形に影響を及ぼしていると記述されています。

扶余薯童蓮祭り(부여서동연꽃축제)

扶余薯童蓮祭り(부여서동연꽃축제)

694.3981927925361m    26346     2022-05-27

忠清南道 扶余郡 扶余邑 宮南路52
+82-41-830-2207

『薯童謠』で知られる扶余宮南池は百済武王35年(634年)につくられた、現存する韓国最古の人工池です。薯童公園(宮南池)一帯で毎年7月に開かれる「扶余薯童蓮祭り(プヨソドンヨンコッチュッチェ)」では、白蓮、紅蓮、睡蓮、鬼蓮など、約10万坪・50種のさまざまなハスの花を楽しめるだけでなく、文化芸術公演、常設体験、特別販売場なども用意されます。

百済の家(백제의집)

百済の家(백제의집)

872.7914414543437m    2991     2021-06-30

忠清南道 扶余郡 扶余邑 聖王路248

「百済の家(ペクチェエチプ)」は、長芋と蓮を主な材料とする韓国伝統料理の専門店です。代表的な精進料理として知られている蓮の葉ご飯は、鉄分とビタミンを多く含んでおり、滋養強壮料理としても知られています。体に良い数種類の薬味などをもち米に入れて、心を込めて包み蒸し上げた蓮葉飯は天下一品で、郷土料理に指定されています。

官北里遺跡と扶蘇山城[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](관북리유적과 부소산성 [유네스코 세계유산])

1.1 Km    23053     2024-04-22

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クア里、クァンブク里

官北里(クァンブンリ)遺跡と扶蘇(プソ)山城は、百済が538年から660年まで首都にしていたとされる遺跡です。官北里遺跡は平時に王が居住して統治していた王宮で、扶蘇山城は戦争に備えて防御壁としての機能を果たしていました。多くの百済遺跡が発掘されたこの地域には泗沘(サビ)都城仮想体験館があり、案内サービスも提供されています。

クドゥレトルサンバプ(구드래돌쌈밥)

1.1 Km    14893     2024-03-28

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑ナルトロ31

クドゥレトルサンバプ、かつて百済の都だった扶余(プヨ)のクットゥレ飲食店通りにある韓国料理店で、看板メニューは石釜で炊いた美味しいご飯を色々なおかずと一緒に野菜で包んで食べる「野菜包み石釜飯」です。薬草など様々な包み野菜が提供されるヘルシーな料理です。

落花岩(낙화암)

落花岩(낙화암)

1.2 Km    18531     2022-05-11

忠清南道 扶余郡 扶余邑 聖王路247-9

扶余の白馬江を見下ろすように高くそびえたっている岩の絶壁が落花岩(ナックァアム)です。落花岩は百済が新羅と唐の連合軍に陥落した時、百済の三千宮女がまるで一片の葉のように白馬江の下に身を投げたという伝説で有名な場所です。落花岩は、この伝説のように女性の貞節を命よりも大切にしていた女性達の精神がにじみ出ている場所です。この岩石の上に1929年、この地域の郡守だった洪漢杓が百花亭という東屋を建てました。絶壁の下には「落花岩」という文字が刻まれていますが、これは朝鮮時代の偉大な学者だった宋時烈先生が書いたものです。

クドゥレ彫刻公園(구드래조각공원)

クドゥレ彫刻公園(구드래조각공원)

1.4 Km    27689     2020-03-18

忠清南道 扶余郡 扶余邑 ナルト路60
+82-41-830-2880

大王国の意味が込められた「クドゥレ彫刻公園(クドゥレジョガクコンウォン)」。
扶蘇山の西のふもとにあるクドゥレは白馬江と調和のとれた優れた景勝をなし、彫刻公園が整っていて、たくさんの人が訪れる安らぎの空間となっています。クドゥレナルは百済時代に都城だった泗沘城を出入りするような大きな渡船場でした。現在は白馬江を行き来する船着場となっており、その周辺は伝統料理や珍味が楽しめる食堂が数多く構えています。1985年度に国民観光団地としてクドゥレが造られ、古く百済人の彫刻技術を受け継いだ、この地域出身の有名な作家の作品30点と、1999年度国際現代彫刻シンポジウムに参加した国内外の有名な彫刻家の作品29点など、全59点の彫刻作品が展示され、昔ながらの情緒と現代的な美を兼ね備えた公園となっています。常に観光客のために解放されており、見る者の目を楽しませてくれます。また、ここは扶余の人々の憩いの場でもあり、「白馬江と水鳥がなき、一葉扁集、帆船を一人漕いでいく船頭」に始まることで広く知られる「白馬江月夜の歌碑」が建てられています。

なぜ「クドゥレ」というのか。
百済時代 、支配族はオラハ(於羅瑕)、百姓はコンギルジ(鞬吉支)と呼ばれていました。クドゥレというのは、「オラハ」の前に王称語「ク(大)」がつき、二語の間に持格促音の「ㄷ(d)」が入って「クドラハ」となり、更に縮まって「クドゥレ」に変遷されたと言われています。また、「クドゥレ」は「大王」を意味しており、日本書紀に百済を「くだら」と呼ぶ場面が多く表れるのも、大王国を意味し、高めて呼んでいたとみることができます。