珍島 雲林山房(진도 운림산방) - エリア情報 - 韓国旅行情報

珍島 雲林山房(진도 운림산방)

珍島 雲林山房(진도 운림산방)

0m    11310     2023-03-21

チョンラナム道チンド郡ウィシン面ウンリムサンバンロ315

書画芸術が発達した珍島(チンド)で代表的な書画芸術家として数えられる人物といえば、朝鮮時代後期の南画(ナムガ)の大家・小痴(ソチ)許錬(ホ・リョン)。許錬は、唐の南宋画や水墨山水画の先駆け的存在である王維の名前から取って、許維(ホ・ユ)と名乗っていたことでも知られる人物です。雲林山房(ウンリムサンバン)とは書画のための画室の堂号です。珍島邑の東側には尖察山(チョムチャルサン)、南東には双渓寺(サンギェサ)があり、その双渓寺のすぐそばに雲林山房があります。

雲林山房には、「コ」の字型の瓦屋根の家屋・雲林山房や、その裏手の草葺屋根の建物、新たに建てられた記念館などがあります。雲林山房の前には五角形をした池があり、真っ白なスイレンの花が咲くことで知られています。その池の真ん中には直径6メートルの円形の島があり、百日紅(サルスベリ)の木が植えられています。

小痴・許錬先生は1809年、現在の全羅南道珍島郡珍島邑山双井里で生まれ、幼い時から絵の才覚があったといわれています。28歳からは海南(ヘナム)大芚寺(テドゥンサ)の一枝庵(イルジアム)に寄居していた僧・艸衣禅師(チョウィソンサ)に教えを請い、30代前半に艸衣禅師の計らいでソウルへ上京し、朝鮮時代後期の著名な書画家・秋史(チュサ)金正喜(キム・ジョンヒ)から本格的に書画の指導を受け、南画の大家として成長を遂げました。王室の絵画を描き、さまざまな官職を歴任しましたが、師である金正喜が亡くなると、ソウルでの生活に区切りをつけ、珍島に帰郷して雲林山房を建て、そこで作画に没頭しました。雲林山房はまた許錬の三男・ 米山(ミサン)許瀅(ホ・ヒョン)、孫に当たる南農(ナムノン)許楗(ホ・ゴン)が南宋画の系譜を引き継ぎ、創作にあたった場所で、一族の毅斎(ウィジェ)許百錬(ホ・ベンニョン)が絵画に親しんだ場所でもあり、韓国・南画の聖地とも呼ばれています。

長い間放置されていた雲林山房でしたが、1982年、孫の許楗の手により、現在の姿へと復元するに至りました。画室内には許氏一族三代の絵画の複製画が展示されており、新たに建てられた小痴記念館には雲林山房三代の作品や、水石、陶磁器などが展示されています。なお、雲林山房は全羅南道記念物に指定されています。雲林山房という名称は、尖察山を頂点に周囲に聳える峰々が形作る深い谷山に、早朝や夕刻時に立ち込める霧が雲のようであることからつけられました。

双渓寺(珍島)(쌍계사(진도))

双渓寺(珍島)(쌍계사(진도))

136.41434580636982m    9942     2020-02-06

全羅南道 珍島郡 義新面 雲林山房路299-30
+82-61-542-1165

珍島のほぼ中心部にある尖察山(チョムチャルサン、標高485メートル)を北にして、両脇に渓谷が流れる場所に位置している双渓寺(サンゲサ)は、857年に道詵(ドソン)国史によって創建され、その後1648年に義雄の手によって再建されました。こじんまりした山寺で、樹齢100年を越す朝鮮時代のビャクシンの木をはじめとし、桜の木、柿の木のような大きな木々の間に、平たい石を敷き歩道を作った庭園が印象的です。
寺の裏手にある渓谷に沿って10分ほど上ると、天然記念物第107号に指定された50余数種の常緑樹林3,700坪が広がっています。寺の南方には、朝鮮時代末期に有名だった画家、許維先生が生活していた雲林山房が隣接しています。

珍島(진도)

珍島(진도)

4.6 Km    50412     2022-11-02

チョンラナム道チンド郡チンド邑

珍島郡は西海(黄海)と南海が出会う韓半島(朝鮮半島)西南の海にある約230の島から成っています。本島である「珍島(チンド)」は、「1年農業して3年暮らす」という言葉があるほどに農耕地が広く、実り豊かなところです。また、島周辺の海では魚類と海藻がたくさんとれるため、島の名前も「宝の島」という意味を持つ「珍島」と付けられました。島全域にはさまざまな遺跡が散在しており、なかでも龍蔵山城と南桃石城は高麗時代の三別抄の抗蒙遺跡址として、鳴梁海峡は壬辰倭乱(文禄の役)当時、李舜臣将軍が倭軍を打ち破った戦勝地として知られています。珍島には八景と三宝があり、珍島八景とは鳴梁大捷址である鬱陶項海岸、神秘の海割れ、観梅島の観梅八景、南桃石城、雲林山房、龍蔵山城など、三宝は珍島犬、クコの実、自然産岩ワカメをいいます。毎年旧暦2月末頃には古郡面の回洞里と義新面の茅島里間に長さ2.8キロメートル、幅40メートルほどの道が現れる海割れが見られます。韓国版モーゼの奇跡として広く知られたこの神秘の海割れが起こる頃には燃灯祭が開催され、多くの観光客が訪れます。珍島と海南の間の鬱陶項には1984年に珍島大橋がかかり陸路で島に出入りすることができるようになりました。

珍島海洋生態館(진도해양생태관)

珍島海洋生態館(진도해양생태관)

5.3 Km    31778     2019-03-20

全羅南道 珍島郡 古郡面 神秘の海キル 74
+82-61-540-6287

珍道海洋生態公園は観光産業の育成のために神秘の海割れの現場であり、世界的にも有名な祭りである神秘の海割れ祭りが開催される場所に設立されました。建築面積891.27平方メートルに地下1階、地上3階規模で貝殻展示館、生態館、水族館などで構成されています。1階の貝殻展示館には世界でも珍しい貝が展示されており、2階の海洋生態館には海の中の様子をそのまま復元し、子ども達の体験学習の場として活用されています。

珍島神秘の海割れ(진도 신비의 바닷길)

珍島神秘の海割れ(진도 신비의 바닷길)

5.8 Km    51155     2023-01-17

チョンラナム道チンド郡コグン面シンビエバダッギル148

毎年、陰暦2月の終わりごろの珍島(チンド)地方の大潮・霊登(ヨンドゥン)サリや6月中旬ごろの時期、全羅南道(チョルラナムド)珍島郡(チンドグン)古郡面(コグンミョン)回洞村(フェドンマウル)とその沖合にある義新面(ウィシンミョン)茅島(モド)の間の海が割れる、別名「韓国版モーゼの奇跡」という海割れ現象が起こります。潮が引くと、幅30メートルから40メートル、全長およそ2.8キロメートルに及ぶ海割れの道ができます。この期間、回洞里一帯では神秘の海割れ祭りが開催されます。海割れの道はおよそ1時間ほど完全に干上がった状態となり、再び潮が満ちてきて海の中へ消えていきます。

珍島には回洞里のポンおばあさんの話が言い伝えられています。その昔、珍島には虎が多かったといいます。現在の回洞村は 珍島にある山・尖察山(チョムチャルサン)の端にあったため虎がよく現れ、村の名前も韓国語で虎を意味する「ホランイ」、「虎洞(ホドン)」と呼ばれていました。
ある日、虎が現れ被害を被ると、村人はみな沖にある茅島に逃げてしまいました。村人は慌てふためいて逃げてしまったため、「ポンおばあさん」は置き去りにされてしまいました。ひとり取り残されたポンおばあさんは、海の神様・龍王さまに再び家族に合わせてほしいと毎日お祈りをしました。するとその年の2月の終わりごろ、龍王がポンおばあさんの夢枕に現れ「明日、海に虹をかけてやるから、その道で茅島に渡りなさい」と言いました。
次の日、ポンおばあさんが近くの海に赴き、祈りをささげていると、本当に潮が引き、虹のように丸く曲がった道ができました。茅島でおばあさんを心配していた家族や村人たちは、農楽で使うチンやケングァリといった打楽器を鳴らしながら、この海の道を渡ってきました。
再び家族と出会うことができたおばあさんは「祈りが通じて海の道が開け、お前たちに会えたから、もう望みはない」と言葉を残し、力尽き果て息を引き取ってしまいます。
それ以来、村人たちは毎年、ここに祭壇を設け、おばあさんの祭祀を執り行い、この日をポンおばあさんの霊が天に登った日ということで、霊登サリと言うようになりました。この当時、村の名称も虎洞に人々が戻ってきたということで、回洞となったそうです。

珍島神秘の海割れは1975年、在韓フランス大使が珍島に観光で訪れた際、この現象を目撃し、フランスの新聞「モーゼの奇跡」と紹介し、世界的に知られるようになりました。
1970年代後半からは旧暦2月の霊登サリの時期に合わせて珍島郡で霊登祭りを開催しています。海岸のポンおばあさんの祠堂で祭祀を執り行い、龍王祭を行い、死者を清め極楽へと送る全羅南道地方特有の儀式・シッキムグッ、出棺前日喪主や遺族を慰めるため行われる珍島独独特の儀式・タシレギ、カンガンスルレ、全羅南道の農謡・南道トゥルノレ、珍島挽歌、太鼓を打ちながら踊る農楽・プクノリなど珍島固有の民俗公演をはじめ、様々なイベントが開催され、見どころも多く、各地から多くの観光客が訪れます。
海辺の祠堂に祀られているポンおばあさんの肖像画は珍島出身の東洋画の画家・沃田(オクチョン)姜智周(カン・ジジュ)画伯が描いたもので、肖像画が収められている祠堂の扉を開ければ奇跡の現象を眺められるようになっています。

珍島神秘の海割れ祭り(진도 신비의 바닷길 축제)

珍島神秘の海割れ祭り(진도 신비의 바닷길 축제)

6.0 Km    23150     2023-04-10

チョンラナム道チンド郡シンビエバダッキル74
+82-61-540-3408

珍島神秘の海割れとは古郡面の回洞里と義新面の茅島里間、約2キロメートルが潮の満ち引きの差で水深が低くなる時、道のようなものが現われる現象です。幅約40メートルの道が海中に現れるというところに神秘さがあります。
毎年祭り期間中にはこの現象を見るために内外から多くの観光客が珍島を訪問し、海割れが完全に現れる約1時間の奇跡の瞬間を満喫します。

イベント内容
メディアアート、希望の小石海割れ体験、珍島無形文化財体験スタンプラリー、海上風物舟遊び、珍島民俗民謡公演、グローバルゾーンなど多様なプログラムが用意されています。

長田美術館(旧南辰美術館)(장전미술관(구, 남진미술관))

長田美術館(旧南辰美術館)(장전미술관(구, 남진미술관))

7.5 Km    5340     2022-08-26

チョンラナム道チンド郡イムフェ面ハミギル39

「長田(チャンジョン)美術館」には書道家の長田ハ・ナムホ氏が収集してきた作品が展示されており、国宝級の美術品をテーマ別に観覧することができます。

茅島(모도)

7.8 Km    18438     2021-06-15

全羅南道 珍島郡 義新面 茅島キル 12-3

1929年ごろ金海金氏が済州島を訪れた際、この島がティブル(茅)で覆われていたことからティソム(茅島)と呼ばれるようになりました。茅で屋根を葺いた家が多かったことからティソムと呼ばれたという説もあり、現在では島名を漢字で表記し茅島(モド)と呼ばれています。

珍島韓屋ペンション[韓国観光品質認証](진도한옥펜션[한국관광품질인증제/ Korea Quality])

珍島韓屋ペンション[韓国観光品質認証](진도한옥펜션[한국관광품질인증제/ Korea Quality])

8.0 Km    703     2018-12-29

全羅南道 珍島郡 義新面 珍島大路 3146-3
+82-10-4550-7316

全羅南道珍島郡金甲里(クムガプリ)にある珍島韓屋ペンションは韓屋型の宿泊施設です。
木造の黄土、青瓦のみを使い建てられたこの伝統韓屋には全16室の客室があります。
年齢を問わず様々な方々が宿泊し、外国人も評判を聞き最近では訪れる人が増えています。
中庭から南海(ナメ)の海が眺望できるほど眺めがよく、夕陽が沈む風景も見たいがために訪問する人も多いほどです。
特に近くには世界的に有名な神秘の海割れが体験できる場所があり、国内外の観光客が日に2回現れる海の道を歩くために訪れます。
韓屋からすぐ見える金甲海水浴場は規模はさほど大きくありませんが遠浅の海岸で、海水浴に最適で、様々な魚が釣れることから海釣り客も数多く訪れます。
このような自然環境の中で憩いのひとときをお送りいただけるよう客室もやはり大変綺麗で快適な作りとなっています。
周辺には雲林山房、長田(チャンジョン)美術館などもあります。

珍島タワー(진도타워)

珍島タワー(진도타워)

11.1 Km    630     2020-08-11

全羅南道 珍島郡 郡内面 マングムキル 112-41

珍島(チンド)タワーは、全羅南道(チョルラナムド)珍島郡(チンドグン)に位置する珍島大橋南端そばに聳える望金山(マングムサン)の頂上付近にあるタワーにあります。
タワー内にはカフェテリアやレストランなどがあり、周辺の美しい景色を一望することができます。
珍島タワーは、朝鮮時代の名将・李舜臣(イ・スンシン)将軍の鳴梁大捷(ミョンナンデチョプ)の勝利を讃え珍島観光のブランドマークとして建設され、地元住民の誇りであり、また観光の目玉観光スポットして注目を集めいている場所です。